浮世絵コンシェルジュ 畑江麻里

2018年

7月

09日

第15回美人画研究会

2018年7月7日(土)

第15回美人画研究会を無事開催することができました!

(私が当研究会を担当するのは約1年半ぶりでした)

この日、他の研究会などと開催日がかぶり参加者いないのではないかと懸念していたのですが、このような小規模な研究サークルに40名以上の参加者のお申込みがあり、予想を上回る程の大盛況だったので、心より嬉しく思っております!

お忙しい中お越し下さった方々、当研究会をサポートして下さる先生方に深く御礼申し上げます。

〜研究会の内容〜

第1部

「複製浮世絵師・高見澤遠治と江戸以降の浮世絵」

畑江麻里

「東郷青児の作品と生涯ー東郷式美人画の誕生」

岩崎達也

第2部

「歌麿の色彩美 世界で一番美しい歌麿はこれだ」

稲垣進一先生

浮世絵鑑賞会


研究会の内容はまたホームページにアップできれば思います。







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2018年

7月

08日

第15回美人画

2018年

7月

06日

美人画研究会 前日

いよいよ、明日7月7日(土)13時より拓殖大学にて、第15回美人画研究会が開催されます。
今回、思いがけず40人ほどの参加のお申し込みがあり(一部のみの参加者含め)とても驚いております。
また、私が発表する複製浮世絵師・高見澤遠治について興味を持って今回新たに参加してくださる方が20名ほどいたことも本当に嬉しい限りです。遠治は一般に全く知られていない知る人ぞ知る人物ですが、この発表をきっかけにいつか遠治フィーバーが起これば幸いです。
まだまだ勉強不足で恐縮ですが、これから浮世絵研究の中で全くやられていない複製浮世絵の歴史についても研究していけたらと思っています。
今からの参加のお申し込みは対応が難しくなってしまいますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

2018年

6月

24日

従姉妹の結婚式

従姉妹の結婚式 表参道シャルマンシーナ

髪の毛はハーフアップにセットしてもらいましたっ

生憎の雨でしたが、可愛い従姉妹の笑顔を沢山見ることができて嬉しかったので記念に投稿します(^-^)/

2018年

6月

09日

琳派スタンプでハガキ作り

とあるイベントにて

「琳派スタンプ」でハガキを作りました♪

「琳派」の特徴というと、装飾的なデザイン、金色の葉脈、垂らし込みの技法などですが、このスタンプは同じモチーフを繰り返し描く琳派の特徴も活かして、紅葉や草花などが作られています。

赤、黄、緑、青、金、銀のインクの中から色を選び、好きなモチーフのスタンプを選んで押すと…こんな感じになります。

子供からおばさままでみんな夢中でした。


2018年

6月

02日

浮世絵スタジオ

浮世絵スタジオ

とあるイベントの写真スタジオがすごく好評らしいです✨

世界的に有名な歌川広重の晩年の大作《名所江戸百景》の作品の世界に入って撮影できるというもの♪

屋外のイベントなのでちょっと顔が眩しく写るのは難点ですが、手持ちの携帯で気軽に撮影できるので良い記念になります(^-^)/

この浮世絵スタジオが話題らしく、大手の博物館?も同じようなことしてるという話を聞きました💡

撮影して頂いた写真と浮世絵スタジオの仕組みをアップします❣️

歌川広重の名所絵《名所江戸百景 真崎辺りより水神の森内川関谷の里を見る図》の中に入って撮影(^-^)

歌川広重の《名所江戸百景 大てんま町木綿店》の世界に入り込みました✨

炎天下で色々大変でしたが記念にこっちもアップ

2018年

5月

18日

東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」展 内覧会

友人が担当した超画期的な展覧会「夢二繚乱」が明日から、東京ステーションギャラリーにて開催されます!
今日はその内覧会に行ってきました🎵
千代田区九段南にある出版社、龍星閣の創業者であった澤田伊四郎氏が蒐集した1200点以上の夢二コレクションが千代田区に寄贈されたことを記念した展覧会なので、これまでの竹久夢二展では観たことがない初公開の作品ばかりが展示されていて、2時間半も見入ってしまいました。
第1章 夢二のはじまり
第2章 可愛いもの、美しいもの
第3章 目で見る音楽
第4章 『出帆』
夢二の展覧会というと美しい女性の肉筆画がメインになるものが多いですが、この展覧会は肉筆の美人画だけでなく、装丁本や絵本、絵葉書から自伝小説『出帆』の挿絵原画まであり、展示の仕方や見せ方も面白く、夢二の画業に多角的に迫った構成になっています!!    

夢二ファン、美人画ファンには待望の展覧会なので、是非お見逃しなく!!
5月19日(土)から7月1日(日)迄です❣️

2018年

5月

01日

「浮世絵モダーン 深水の美人!巴水の風景!そして...」展の内覧会へ

2018年4月20日(金)

町田市国際版画美術館「浮世絵モダーン 深水の美人!巴水の風景!そして...」展の内覧会に行って来ました!

この展覧会は、大正初期に登場した創作性の高い伝統木版の新版画を「浮世絵モダーン」と称して、橋口五葉や伊東深水、川瀬巴水などの傑作が約300点も展示される浮世絵ファン待望の展覧会です♪

この展覧会の構成は以下のようになっていて、各章ごとに撮影可能なコーナーが設置されています。

第一章 女性―近代美人画の諸相

第二章 風景―名所絵を超えて

第三章 役者―歌舞伎から新派まで

第四章 花鳥―求められる伝統性とその変容

第五章 自由なる創作―さまざまな画題と表現

※前期・後期と作品が変わるそうなので要チェックです!

 

2018年

4月

12日

匠木版画工房へ

浮世絵工房の「匠木版画工房ふれあい館(朝香伝統木版画教室)」に行って来ました。

卓越した彫の技術を持つこの浮世絵工房の彫師・朝香元晴先生と知り合ったきっかけは、今年の2月4日(日)に開催した美人画研究会でした。朝香先生の工房の生徒さんが美人画研究会に参加して下さり、(「美人画」と検索した際に「美人画研究会」を見つけて下さいました)この工房のことを知りました。

この工房の生徒さんに、私がいま高見澤遠治さんについて調査していることを話したところ、なんと朝香先生が高見澤遠治さんの弟の高見澤忠雄氏に師事していたとこのことで、早速お話をお伺いしに匠木版画工房ふれあい館へ行って来ました。

 

~朝香元晴先生が浮世絵の彫師になるまでをお聞きしたのでまとめてみました~

朝香先生が高見澤忠雄先生(私が現在調査している高見澤遠治さんの弟)に出会ったのは16歳の時だったそうです。忠雄先生の紹介で八重洲の事務所に半年いた時に「根気がありそうだから、京都に浮世絵の彫師の名人がいるから行ってみないか」との話があったそうです。しかしその時、朝香先生は実は芸大を目指していたらしく「芸大に行きたいのですが」と言ったところ、「そういう時間はない、すぐに行きなさい。世間の物心を知ってしまうとダメだから今行きなさい」と強く言われたそうです。「色気づく前に」と念押しされたそうで、(この「色気」とは世間の「色気」という意味だそうです)それで芸大に行くことをやめ、17歳になった時に、「もう行くしかない!」とのことで京都へ言って現在に至るとおっしゃっていました。

 

 詳しくは、朝香先生の浮世絵工房「匠木版画工房ふれあい館」

川瀬巴水《芝増上寺》大正14年(1925)復刻浮世絵
朝香先生が細かい雪の部分を彫っているところを見学しました。

2018年

4月

12日

複製浮世絵《當時三美人》

浮世絵の彫師・朝香元晴先生(匠木版画工房ふれあい館)が精魂込めて制作した複製浮世絵を拝見しました。

喜多川歌麿が寛政期のアイドル達を描いた代表作《當時三美人》(寛政の三美人ともいいます)

上から芸者の富本豊雛(芸富本節の名取り芸者)、画面手前右に水茶屋娘の難波屋おきた(浅草随身門脇の水茶屋娘)と、その左に高島屋おひさ(両国薬研堀の煎餅屋のおかみであり茶屋娘)

彼女達の顔は一見、同じように見えますが、それぞれ描き分けられています。目の大きさや鼻や眉毛の形など異なっています。

また、彼女達の髪の生え際の「毛割」の技法にもご注目下さい。

 

朝香先生はよく「こんなのすぐにできるでしょ」と何も知らない人に言われたりするそうなのですが、全くそんなことはありません!!この作品を制作するまでに、20年、30年。。。と地道に修行を積んでようやく完成の域に仕上がるのです。

一本一本の髪を彫り上げる「毛割」を手掛けるには、彫師の中でも最も高い技術を持つ師匠格の人間ではないとできないのですから、、気の遠くなる話です。。

2018年

3月

19日

美人画研究会 美術館ツアー

2018年3月11日(日)に美術館ツアーをしてきました♪

1)世田谷美術館「パリジェンヌ展」

2)静嘉堂文庫美術館「歌川国貞展」

https://bijingakenkyukai.jimdo.com/

 

パリジェンヌ展

18世紀、文化の発信地となったパリ。その中心となったのが、常に時代を引っ張り最先端を行くパリジェンヌ達でした。彼女達は文化人のサロンを開き、さらにマリーアントワネットをはじめとする皇妃達のファッションが多くのトレンドを生み出します。そして時代が下ると、今回の展覧会の目玉のマネをはじめ印象派の画家たちの絵の主題にもなっていきます。芸術家たちのインスピレーションを刺激し、多くの傑作を生み出したパリジェンヌ。この展覧会では、18世紀から20世紀のパリという舞台で生きたパリジェンヌ達に様々な切り口からスポットライトが当てられ、絵画・衣装・イラストレーション・写真などからパリジェンヌたちの遷移が楽しめます♪

 

 

18世紀初頭は、ルイ14世の支配するヴェルサイユを中心とする宮廷文化が終焉し、女性達も活躍できる新しい時代の幕開けでもありました。舞台でもそんな女性達が活躍し、頭上高く結いあげた装飾的な「ポンパドールヘアー」と、「パ二エ」で大きく膨らませた華麗なドレスがトレンドのファッションだったことを、当時のドレスや版画(エッチングに彩色)の展示が物語っていました。

また、下火になっていたサロン文化が形を変えて再開し、社交・お遊びの場から知的な女主人によってもてなされる文化的空間となったようで、銀製のティーポットに有田焼の陶磁器などでお茶を飲む文化がはじまりました。(※箱入りのティーセットも展示されていました)

 

19世紀、家庭での女性の役割がよき母親であることに限定されていた時代に、自立する意欲を持った女性たちは「シャリバリ」の風刺がで揶揄されました。子供に本を読む母親、刺繍をする女性、といった母性礼賛の絵画が並んで展児された後に、何かを作っていて子育てがおろそかになっている女性やキュロットをはく女性などが批判を込めて描かれたリトグラフが展示されていて、おもしろかったです。

 そんな時代の中、おしゃれなパリの女性たちのファッションは世界中から注目され、憧れのパリジェンヌが確立されていきました。

続きはこちら

歌川国貞展

国貞の美人画について何度も美人画研究会で取り上げているのに恐縮ですが。。

江戸後期の浮世絵師というと葛飾北斎や歌川広重、歌川国芳などが有名ですが、当時の江戸の人達にとっては、「浮世絵師」といったら「歌川国貞(三代豊国)」で、その人気は他の絵師に比べて圧倒的でした。国貞は亡くなるまで精力的に役者絵・美人画を中心にトップランナーとして活躍した類まれな絵師だったのです。

国貞の美人画は当時の人々に好まれたのは、当時の女性達が、国貞の描く女性達に親近感を覚えたから、というのも一つの理由として考えられます。国貞の美人画は、庶民と等身大の女性達や、庶民の憧れの吉原の遊女達の生活の一瞬の表情を捉えた一コマがリアルに描かれているので、彼女達の生活に入り込むような感覚を楽しむことができます。美人達の着物や簪、身の回りの小物なども一つ一つ丁寧にリアルに描かれているのでご注目下さい。

 

 美人画は江戸時代の人達にとってはとても身近な憧れのアイドルのブロマイド・ポスター、ファッション雑誌、広告として女性達の日常の楽しみの一つだったので、私達が読むファッション雑誌と同じ感覚です。

この展覧会では、そんな国貞の美人画が約8年ぶりに公開されている注目の展覧会です!

 

そして、最後に恐縮ですが、美人画研究会でお世話になっているトミーさんが妹の結婚式の前に日比谷公園にて撮影して下さいました。

カメラ技術を習得したいと考えおり、実際に撮影して頂き、とても勉強になりました。こちらに写真をアップしました♪

2018年

2月

17日

第13回美人画研究会

2月4日 美人画研究会

遅くなってしまい恐縮ですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

先日、約1年ぶりに第13回美人画研究会に参加できました。
今回は、テレビチャンピオン似顔絵大会優勝者の斎藤忍氏のご発表や、昭和初期の美人画家・田中針水のご次男でいらっしゃる晃氏のご発表、そして浮世絵学会常任理事の稲垣進一先生のご講演とご自身でコレクションされた月岡芳年の浮世絵を皆で鑑賞するなど、盛りだくさんの内容でした。 
 
こちらの美人画研究会ホームページに活動報告を詳しくアップしておりますので、ご覧頂ければ幸いです。
 
 

2017年

12月

30日

2017年もありがとうございました

月岡芳年(大蘇芳年)の美人画シリーズ《東京自慢十二ヶ月》

2017年も残り1日になりました。今年もたくさんのメッセージ等々、ありがとうございました。

 今年最後の投稿では、ご質問等も受けた月岡芳年(大蘇芳年)の美人画のシリーズ《東京自慢十二ヶ月》についてご紹介したいと思います。

 

月岡芳年《東京自慢十二ヶ月》

明治13年(1880) 大判錦絵 版元:井上茂兵衛

 下記の作品は、当時有名な12人の芸者や遊女たちと、東京12ヶ月の名物風俗を組み合わせた美人画のシリーズです。

 1月の初卯詣、2月の亀戸の梅、3月の吉原仲の町の桜など、各月に応じた名物が選ばれていて、それぞれの地域に対応する女性が、新橋の芸者3名、柳橋の芸者が2名、日本橋の芸者が2名、大坂町の芸者が1名、吉原の花魁と芸者が各一名、品川の遊女1名、根津の遊女1名、というように選ばれて、名物風俗を彩っています。

 この時期、作者の芳年は数多くの美人画シリーズを手掛けていて、このシリーズでは、背景の写実的な風俗描写で名物の様子を紹介し、実在する芸者や遊女たちを歌川派美人の顔貌表現をベースに描いています。

(浮世絵展「美人画名品選―春信・歌麿から芳年・周延まで―」の展示コーナー解説参照)

 

下記の作品は、当時有名な12人の芸者や遊女たちと、東京12ヶ月の名物風俗を組み合わせた美人画のシリーズです。

 この美人画シリーズの作者、月岡(大蘇)芳年は、幕末から明治初期の浮世絵師です。嘉永3年(1805)の12歳の頃に武者絵の名手として知られていた歌川国芳に入門します。芳年が国芳の門をたたいたのは、武者絵を好んだからとも考えられます。

はじめは師・国芳の作風を踏襲した武者絵などを描いていましたが、明治維新の前後から戊辰戦争などに取材した残虐な「血みどろ絵」で注目を集めます。明治3年頃より神経衰弱に陥り、作画量減りますが、明治6年に回復すると、新たに「大蘇」(大きく蘇るという意味でしょう)と号します。現在では「月岡芳年」の名前が主流ですが、畑江の調査では、芳年の作品は「大蘇」と号した作品が最も多いです。

今回、一般的に主流な「月岡芳年」としましたが、「大蘇芳年」や「歌川芳年」でも間違えではありません。

 

 芳年は、西洋風の明暗表現を意識した歴史画はじめ、銅版画の陰影や、油絵の明暗描写を錦絵に積極的に取り入れ、新しい技法に挑んでいます。幅広い画題の浮世絵を手掛けていく中で、明治10年頃から美人画制作にも取り組み、新たな細かな描線を用いて、この《東京十二ヶ月》のように明治の美人画を代表する作品を数多く残したのです。

(浮世絵展「美人画名品選―春信・歌麿から芳年・周延まで―」の図録参照)

 

2017年

10月

15日

20周年記念講演

【20周年記念講演】

お忙しい中いらして下さった方々、誠にありがとうございました。

世界的に有名な浮世絵師・歌川広重の名所絵について、なぜか私が記念講演することになり戸惑いましたが、なんとか無事に終わりました。

当初の100席から200席に増やしたそうで、あらためて広重人気に圧倒しました。

講演後に「感動しました!」と大きな花束やお土産などを持ってきて下さり本当に恐縮でしたが、嬉しかったです。

多くの方の笑顔を見るとこんなに幸せなんだと実感しました。。泣

至らない点が多いですが、これからも精進したいと存じます。

引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。

2017年

9月

08日

【展覧会情報】「鈴木春信展」千葉市美術館、他

9月5日(火)

「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」のレセプションにご招待いただき、心躍らせ千葉市美術館へ行ってきました。

鈴木春信の作品は、約8割が海外の美術館に所蔵されているため、日本国内で観る機会は限られていますが、今回千葉市で春信の錦絵や絵本を一堂に観ることができます!ボストン美術館所蔵の春信作品を間近で観ることが出来、至福の一時を過ごすことができました。

 

この展覧会に取り上げられている鈴木春信は、浮世絵版画が誕生してから約100年後の明和2年(1765)に、高度な多色摺による錦絵の確立を成し遂げた浮世絵師です。和漢の古典文学を当世風俗に描く「見立絵」や、江戸の庶民に広く知られ人気を得ていた「評判娘」を描き、一世を風靡しました。

春信は修士論文で取り上げた思い入れの強い絵師なので、この期間にあと3回は観に行きたい・・

 

鈴木春信の作品は某博物館でも今月18日迄ご覧頂くことができます。(入館料200円とかなりお得!) 
海外に行かなくても本物に出会える機会、お見逃しなくっ♫

某博物館の春信作品①

《舟遊び》明和4、5年頃(1767、68)

武士の舟に美女2人の小舟が近づき、座る美女が武士の船の縁をつかんで離れないように寄り添っています。立ち姿の美女の頭上に舳先があり、それがまるで烏帽子のように見えます。この構図から、本作は中国の詩人、白楽天が日本を訪れ、住吉明神の化身である漁夫に出会うという謡曲「白楽天」の見立てではないかということが指摘されています。

この他にも、武士の羽織の紋に注目すると、それが「星梅」の紋章で、本作が描かれた頃に幕政で大きな力を持ちはじめた田沼意次の家紋の七曜紋に見立てられているのではないかとも言われています。露骨に意次の七曜紋を描くことはできないため、あえてこの星梅の紋を描いたと考えられます。

 

某博物館の春信作品②

《洗濯美人》明和期(1764~1771)

 浮世絵の中には、家の柱を飾るための極めて細長い形式の「柱絵」があります。柱に貼り付けたり、簡単な軸装にして掛けたりして利用されたものであり、春信も多くの柱絵作品を残しています。(春信はこの柱絵を約140点手掛けたと言われています。)

 この柱絵による本作では、川端で美人が足で布を踏んで洗濯している様子が描かれています。その上の崖には、中国の漢服のような服装と帽子で目が大きくひげを伸ばした男が、小鬼を縄にくくって美人に向けて垂らしています。この小鬼を、洗濯する美人の脛に見とれて神通力を失い、空から落ちたという久米仙人に見立てて画題にしたもののようですが、一方で小鬼を使う男の外見は鍾馗様のようです。久米仙人の説話と鍾馗の逸話をを合体させたものでしょうか。

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2017年

8月

13日

講演会と展覧会

2017年8月12日(土)某大学にて講師として招かれ、講演会をしました。

「広重墓所と浮世絵・伊興」

Ⅰ 足立の伊興と東岳寺

Ⅱ 歌川広重とは

Ⅲ 広重の描く浮世絵

 

 足立区伊興の東岳寺に、世界的に有名な浮世絵師・歌川広重の墓所があるのはご存知でしょか?

 広重の墓所がある東岳寺では、稲垣進一先生(国際浮世絵学会常任理事)が主体となって、広重の命日に当たる9月6日に「広重忌(一日だけの広重展)」が毎年開かれてきました。稲垣先生は母校の恩師でもあり、今回の講演会をお伝えしましたところ応援に駆けつけて下さり、スペシャルゲストとして特別講演もして下さいました。

 今回の講演会で取り上げた足立区北辺に位置する伊興は「伊興遺跡」や「白旗塚古墳群」などの存在が物語るように、足立区中で最も歴史のある地域です。足立区の他の地域が中世以前にその歴史を遡ることが出来ないのに対し、伊興は古墳時代(およそ1700年前)までその足跡を辿ることができます。

 伊興は江戸時代には伊興村一村であり、明治22年(1889)に町村制の実施時に、竹塚村・保木間村・六月村と共に渕江村となりましたが、明治24年に渕江村から独立して、新たに「伊興村」となりました。そして、大正12年(1923)の関東大震災後、罹災寺院が伊興に移転してきて寺町が形成され、集落の形が整いました。

 この罹災寺院の一つの東岳寺には、広重が眠る墓や、広重を海外に紹介した米国人のハッパーの墓、川柳の句集『俳風柳多留』を出版した花屋九次郎の遺跡碑などもあります。しかし「広重ゆかりの寺」ということはあまり知られていません。今回の講演会を皮切りに、より多くの方に「足立の広重」をお伝えできればと思います。

 ★今年も9月6日(水)の広重の命日に「広重忌(一日だけの広重展)」が開催されます。詳しくは、稲垣先生まで。

 

 講演会の後は、稲垣先生と浮世絵展「美人画名品選―春信・歌麿から芳年・周延まで―」を鑑賞しました。

 前回の7月29日に開催されたワンポイント講座「春信・歌麿の魅力―錦絵誕生からの江戸美人の展開―」に参加された稲垣先生。立ち見の方が出る程、定員数を大幅に上回りビックリした!!とおっしゃっていました。

 次回の9月2日(土)に開催される2回目のワンポイント講座「国貞・国芳から明治の美人画―歌川派美人、そして芳年・周延―」は早めにお席を確保した方が良いかもしれません。

 前期のオススメ作品を6点をご紹介したいと思います。ちなみに前期の展示は8月20日(日)迄です。入館料200円で春信や歌麿の作品を間近で見ることができるのはお得ですよね。図録も400円とお買い得です!

 

前期のオススメ作品①

喜多川歌麿《隅田川舟遊夜景》

『芸術新潮』歌麿特集の展覧会情報に取り上げられていたこの作品には、隅田川で舟遊びをする男女たちが描かれています。隅田川の納涼は、旧暦5月28日にはじまり8月28日に終わる年中行事で、期間中、多くの人々が納涼船で繰り出しました。歌麿は、屋根舟に乗る男女を三枚続の風景の中に描いており、その構成には先達である鳥居清長の美人群像からの影響が伺えます。近景の人物たちの生き生きとした表情を捉え、両国橋や対岸の夜景もシルエット的な表現でこまやかに描き出しています。

※絵師情報は図録に書いてあるのでここでは省略

前期のオススメ作品②

鳥文斎栄之《略六花撰 遍昭》 

長身細身の女性を全身像で描くことを得意とした栄之の作品の内、現存例の珍しい、クローズアップによる美人大首絵の作品。遊郭の女性六名を、平安時代の六歌仙に見立てたシリーズの一作で、背景を黄色一色で摺る「黄潰(きつぶ)し」の中に描かれた遊女の左上部に配されたカルタ札には、六歌仙の一人、僧正遍照(そうじょうへんじょう)の図と共にその歌「浅緑(あさみどり)糸縒(よ)りかけて白露(しらつゆ)を珠(たま)にも貫ける春の柳か」が記されています。

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2017年

7月

10日

展覧会情報

浮世絵展「美人画名品選―春信・歌麿から芳年・周延まで―」

某区立郷土博物館で、7月22日~8月20日(前期)、8月22日~9月18日(後期)「浮世絵展 美人画名品展―春信・歌麿から芳年・周延まで―」が開催されます。同館は、松方コレクション413点を格とする、約1300点もの浮世絵を所蔵しています。前期と後期、内容がガラリと変わるそうなので、2回楽しむことができるそうです♪

 

 

『芸術新潮』の歌麿特集の中でも取り上げられていましたね!

2017年

6月

14日

〜『芸術新潮』展覧会情報〜

今月号の『芸術新潮』歌麿特集の展覧会情報です。

2017年

4月

09日

学会誌『LOTUS』第67号(日本フェノロサ学会刊)に研究論文が掲載されました

春風の心地よい季節になりましたが、皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
私ごとではございますが、昨年秋に日本フェノロサ学会にて研究発表をした論文が学会誌に掲載されました。


約8,000点ものビゲロー浮世絵コレクションの歌川国貞(三代豊国)の数量分析は、とても長い道のりでしたが、掲載された論文を見ると喜びはひとしおです。
初めて掲載される論文のため、至らない点も多いかと存じますが、ご笑覧頂ければ幸いです。

~研究論文内容~
本稿では、ボストン美術館蔵ビゲロー浮世絵コレクションの浮世絵を取り上げ、蒐集者ウィリアム・スタージス・ビゲローが最も多く、歌川国貞(三代豊国)の浮世絵を蒐集した経緯を検証しました。
国貞は生涯に万を越える膨大な作品を制作したため、その内訳や詳細については深くは検証されていません。特に、ビゲローが国貞作品を蒐集した経緯の検証は行われておらず、未だ大きな余地があります。
そこで、ボストン美術館のデータベースで公開されている国貞の約8,000件の浮世絵版画、肉筆、絵本、版本等を全て確認し、各作品に付された作品番号、作品タイトル、年代、版元、署名・改印、作品の伝来、コレクター、等を元に一点一点調査した上で、ビゲローが蒐集した浮世絵版画のみをそこから抽出し、その傾向を数量的に分析しました
分析の結果浮かび上がった、ビゲローコレクションにおける国貞の浮世絵の特徴を報告し、そこから見えてきたビゲローの真の蒐集動機を執筆しました。

※第二章で取り上げました、歌川派絵師の名前が並んだ評判記『當代全盛江戸高名細見』(嘉永6年刊)の原本の所蔵先は、都立中央図書館です。
この評判記には、「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)、清満かんばん(看板)」と人気絵師26名が続く内のトップに豊国を襲名した国貞の名が記されており、当時の浮世絵界が国貞を柱としていたことが判る大変貴重な資料です。原本の画像は、論文規定の関係で掲載できず少々残念でしたが、またの機会にご紹介します。

2017年

2月

27日

美人画研究会

2017年1月25日(土)美人画研究会を開催しました。

 

今回は私の母校の教授と親しい、帝京大学教授であり某美術館の館長の岡部昌幸先生が会場の手配やご自身のコレクションを倉庫から会場まで運送して下さるなどご助力頂きました。

内容は、1)浮世絵美人画に焦点を当てた、江戸美人のファッション(畑江麻里)、2)大衆雑誌の表紙における美人画の変化(岩崎達也・帝京大学博士課程)、3)美人画論・英国編Ⅰより、デイヴィット・パイパー「英国の顔」とノーブルな美人画(岡部昌幸教授)、という三本立の研究発表を行いました。

 

とある学会誌に掲載されました。

<研究内容>

 

1.浮世絵美人画Ⅰ

 ~江戸美人のファッション~ 畑江麻里

 

2.新制作派協会における美人画

 ―猪熊弦一郎と小磯良平の女性像を中心に― 岩崎達也

 

3.美人画論 イギリス編Ⅰ

 ―デイヴィッド・パイパー『英国の顔』とノーブルな美人画 岡部昌幸教授

 

絵画鑑賞会 

   歴史的画家の未公開・真筆の美人画を鑑賞! 岡部昌幸教授

         

 

 

 

岡部先生の愛弟子であり若手研究者、帝京大学大学院博士後期課程の岩崎さんの研究発表。

新制作派協会における美人画

 ―猪熊弦一郎と小磯良平の女性像を中心に― 

岩崎さんのご発表では、新制作派協会の画家たちの中から、猪熊弦一郎と小磯良平の東京美術学校在学中から戦後まもなくまでの女性像を描いた作品を紹介しながら、自由を謳歌する日本のキャリアウーマンたちを描いた作品を紹介して下さいました。

『婦人画報』や『週刊朝日』に表紙絵に描かれた、理想の美女像についてのお話も興味深かったです。


〜この時代の背景〜

昭和10(1935)年に二科会などの在野の団体を政府の管理下に置くために改組帝展を行ったところ、それまで帝展にいた画家たちが抜けてしまい、昭和11(1936)年に無鑑査制の復活などの緩和策によって、帝展系の画家たちが戻っていきました。これを「帝展改組問題」と言います。この時に帝展を抜け出し、そのまま在野にの団体を作ったのが、猪熊弦一郎、小磯良平などが率いる新制作派協会(現・新制作協会)でした。彼らは「新生活派」と呼ばれ、昭和戦前期・戦後期の一般大衆の生活やレジャーを描いたことで評判を得ました。中でも女性像においては、自由なファッションやお稽古、労働を謳歌する女性像を戦前より描いていました。


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2016年

8月

17日

日本フェノロサ学会研究発表のご案内

【日本フェノロサ学会のご案内】
毎日厳しい暑さが続いておりますが、如何お過ごしでしょうか。
私事で恐縮ですが、日本フェノロサ学会での研究発表のご案内をさせて頂きます。
前回の美人画研究会で触れました、ボストン美術館が所蔵するビゲローコレクションにおける歌川国貞(三代豊国)の浮世絵の特徴と、蒐集者・ウィリアム・スタージス・ビゲローが最も多く国貞の浮世絵を蒐集した経緯を検証します。
約3万3,300枚もの世界的に大規模な点数を誇るビゲローコレクションは、長年、門外不出とされ、詳細については明らかにされてきませんでした。
近年、各地の美術館でビゲローコレクションの浮世絵が取り上げられ、特に「国芳・国貞」展でビゲローの国貞作品が大々的に展示されました。
しかし、ビゲローコレクションの国貞作品の詳細な分析は深くは行われていません。特に、ビゲローが国貞作品を蒐集した経緯の研究は行われておらず、未だ大きな余地があると言えます。
そこで、ボストン美術館のウェブサイトで公開されている国貞の約8,000件の浮世絵版画、肉筆、絵本、版本等を全て確認し、各作品に付された作品番号、作品タイトル、年代、版元、署名・改印、作品の伝来、コレクター、等を元に一点一点調査した上で、ビゲローが蒐集した浮世絵版画のみをそこから抽出し、その傾向を数量的に分析しました
(約1万点もある国貞作品を一点一点調べ、ミスのないようエクセル表を制作し、数量的な分析をするのには目眩を起こす程でした…)
 
分析の結果浮かび上がった、ビゲローコレクションにおける国貞の浮世絵の特徴を報告し、そこから見えてきたビゲローの真の蒐集動機を明らかにしたいと思います。
お忙しいかと存じますが、参加費と懇親会費は無料ですのでもしご都合よろしければ、ご高覧頂ければ幸いです。

〜日本フェノロサ学会研究発表詳細〜

2016年

7月

07日

第7回 美人画研究会

第7回美人画研究会を開催いたしました。
今回も多くの方にご参加を頂き、研究発表、美人画カルタ、美人を描こうコーナー等、楽しい研究会になりました。
詳しい内容は美人画研究会ホームページに掲載したいと思っております。
ご参加いただきました皆様、ありがとうございました!!
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2016年

5月

10日

サントリー美術館「広重ビビット展」レセプション

母校の稲垣先生にお誘い頂き、サントリー美術館「原安三郎コレクション 広重ビビット」オープニングレセプションへ行って来ました。

戦前から財界の重鎮として活躍した原安三郎氏は浮世絵コレクターでもあり、特に旅好きだったことから、葛飾北斎や歌川広重の名所絵を多く集めました。原氏のコレクションは、揃物の多くが全揃いなのも驚きですが、本展初公開となる≪六十余州名所図会≫≪名所江戸百景≫は全て摺ったばかりの状態のような大変美しい初摺り!色が本当に鮮やかなんです!≪名所江戸百景≫の中には、キラキラ光る雲母を使用した作品もありました!!この雲母や、海面や空のじわじわっとした美しいグラデーションが生み出すぼかしの技法、目にも鮮やかな色合いは、同じ版で何度も摺られた後摺りでは見ることはできず、初摺りだからこそ見られるものです。全て状態の優れる初摺りの作品だけを集めた展覧会。名所絵の名手として絶大な人気を誇る広重の豊かで粋な名所絵をお楽しみ頂けること間違いないです。また、現存数の少ない葛飾北斎の≪千の海≫が全て揃っており、こちらも注目です!

葛飾北斎が≪冨嶽三十六景≫を発表し、歌川広重が≪東海道五拾三次≫を刊行するまでに、江戸期の文学・芸術界は〝旅″に対する興味が次第に高まってきていました。北斎と広重は名所絵(風景画)のジャンルを確立し、多くのシリーズを刊行します。

広重は、画面頂部に加えられる空の「一文字ぼかし」をはじめ、名所絵の効果を発揮した「拭きぼかし」の技法を多用しています。「拭きぼかし」の技法を使用したのは、摺師の腕に任せて版画としての面白みを存分に引き出そうとしたからではないかと考えられます。浮世絵が絵師個人で制作するものではなく、彫師や摺師の腕が加わってはじめて最大限の魅力を発揮できることを、広重は承知していたのです。また、「あてなしぼかし」という摺師に全て任せるぼかし摺りの技法も、広重は好んで使っています。これは偶然に頼る技術で、一図ごとにぼかしの模様が異なって仕上がります。その技法は、何も彫っていない平らな板に水を垂らし、更に墨や色を一滴垂らし、広げた所を摺り取るだけの、人任せ、運任せのものでした。

広重は、直接摺りの現場に立ち会い、色や摺りを指定して拘りぬいて制作しました。初摺りを見ると、後摺りの作品では全く気付かなかった広重の工夫や意図を見つけることができます。例えば、≪美濃 養老の滝≫は、後摺りの作品を見ると、ただ布を垂らしただけの平坦な滝で、広重は観察眼がなかったのかのようにと思います。しかし、初摺りを見ると、広重が木目を活かして滝の水の流れを表現しようしていた意図が感じられます。

稲垣先生によると、広重の名所絵の魅力は「じわじわっ」としたぼかしの技法にあるそうです。この「じわじわっ」は、木版画の魅力であり、他の版木ではマネできません。現代の技術で印刷をするとスッキリとした線を作ってしま、手作りの肌合いが全く出ません。

 

私は現在、浮世絵の美人画を中心に研究していますが、大学院入試時に、歌川広重の名所絵を研究していました。この時に研究していた≪東海道五拾三次 日本橋 朝之景≫、こちらは初摺りなのですが、前期のみ展示されています。

この作品は、日本橋からの大名行列が京へ向けて出発する場面を描いたものです。日本橋を取り上げる際、通常は横向きであり、富士山や江戸城も定型として描かれますが、この作品には富士山も江戸城もなく正面向きで表されているのが斬新です。地平線近くの朝焼けに染まる茜色の空や、その上に棚引く青い雲、まだ明け切らない空を示した画面上部の藍色のぼかしなど、多彩な色の摺り重ねや組み合わせによって、早朝の風情を描き出す手腕は広重ならではのものです。しかし、これが後摺りになると、この雲がカットされ、美しい空のグラデーションもなくなります。また、この日本橋の作品には変わり図もあります。こちらの変わり図は構図ががらりと変わり、登場人物も多くなっています。

 

本展初公開となる≪六十余州名所図会≫は、嘉永6年(1856)7月から安政3年(1856)5月までの約4年間にわたり制作された人気のシリーズです。全国68ヵ国(五畿七道で言えば、五畿内5、東海道16、東山道8、北陸道7、山陰道8、南海道6、西海道11)の名所と江戸1点、目録1点の全70点の揃いです。

《三保の松原》

富士山と三保の松原は切っても切れない関係です。富士山を世界遺産にする際、三保の松原も含めるかどうか一悶着あったそうですが、三保の松原も含めて世界遺産になりました。現在観光地化して海岸が汚くなってしまったという意見もありますが、世界遺産に認定されたので、これから当時の美しい状態に戻ることを期待しています。

この広重の作品には、白い帆船が行き交う青く広大な海岸の中央、長くせり出した陸地が三保の松原です。白い砂浜と青々とした松の取り合わせの美しさから、古来より名所とされてきました。謡曲『羽衣』では、「ここから見た春景色はどれも美しく、他とは比べものにならない。」とその美しさを称えています。この作品に捉えられた富士山は、山頂のなごり雪が白抜きで表され、「板目摺り」という版木の木目を摺り出す技法により、立体感が引き出されています。

三保の松原の近くには、大型輸送船が行き来していた清水港があり、江戸と西国を結び年貢米などを送る地として栄えていました。

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2016年

4月

21日

東京都美術館「生誕300年記念 若冲展」レセプション

著名な美術史家の安村先生にご招待頂き、初めて一人で東京都美術館「生誕300年記念 若冲展」レセプションに行って来ました。

伊藤若冲は、江戸中期に京都で活躍した画家で、緻密で鮮やかな色彩描写による動植物、軽妙洒脱な水墨画を手掛けたことで有名です。その若冲の生誕300年を記念した空前絶後の展覧会が明日、4月22日(金)から開催されます。

この展覧会の大目玉は、若冲が京都・相国寺(室町幕府三代将軍の足利義満によって創建)に寄進した大作「釈迦三損尊像」3幅と「動植綵絵」30幅です。若冲が40歳の時に取り掛かり、10年の歳月をかけた渾身の作で、一堂に公開されることは初めてです。

展覧会場の2階に上がると、正面に一際大きな「釈迦三損尊像」3幅が見えます。若冲は、京都の東福寺にあった中国の仏画をここに写したそうです。その左右を取り囲むように並ぶのが「動植綵絵」30幅。咲き誇る花々に蝶や虫、あらゆる鳥に魚、貝類までが絢爛豪華に描かれています。この作品は、絵絹に裏打ちされた肌裏紙が濃い灰色になっているのが特徴です。通常は紙本来の色、もしくは白。しかし墨色の紙を使用すると、それが絵絹の折り目から透けて画面が暗くなり、空間に深みがでます。そして色に更なる奥行をもたせるために若冲が取り入れたのが裏彩色。絵絹の裏に色を塗ることで表の色にニュアンスを与えます。調査によると、多くの白い鳥の羽は裏に黄土色が塗られていたそうです。墨色の肌裏紙、裏彩色の黄土色、絹の光沢、そこに白い胡粉が重なることで、趣のある輝きと立体感が生まれます。

「動植綵絵」は、若冲の緻密な超絶技巧に泣きそうになります。必見です!!

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2016年

4月

05日

太田記念美術館「歌川国貞展」

母校の先生と太田記念美術館「歌川国貞~和の暮らし、和の着こなし」へ。

現在、渋谷Bunkamuraの「国芳・国貞展~ボストン美術館所蔵」も大反響で、遂にやってきた国貞ブーム!?に嬉しく思っております。

浮世絵の状態、質・量ともにボストン美術館所蔵の方が素晴らしいと感じましたが、(こちらは退色してしまっている作品も多くありました)この展覧会に飾られていた、≪星の霜当世風俗 蚊やき≫は状態がとても良く、目を見張るばかりでした。

≪星の(や)霜当世風俗≫は、国貞の美人画を代表するシリーズの一つで、八花形の縁の古鏡風の枠内に題名が書かれています。題名は、「星の霜」と「星や霜」の二種類があり、各5図の計10図が知られています。

この≪星の霜当世風俗 蚊やき≫は、文政2年(1819)に制作されました。なぜこの年に制作されたかというと、この美人画に配された役者団扇を見ればわかります!

≪星の霜当世風俗(蚊やき)≫

この作品には、蚊帳の中に入ってしまった蚊をこよりに点けた火で焼き殺そうとする、当時の庶民の女性風俗が捉えられています。画面下部に注目すると、三代目尾上菊五郎の助六が描かれた団扇が見えます。菊五郎の助六の初演は文政2年(1819)3月中村座で上演されました。(浄瑠璃は「助六曲輪菊」すけろくくるわのももよぐさ)そのため、役者の団扇を見るとこの作品がいつ制作されたのかがわかるのです。

助六は、市川家の芸ですが、菊五郎が団十郎への挨拶なしに勝手に演じてしまったため、両者不和の原因になりました。

※こちらのお話は、第二回目「美人画研究会」にて、新藤先生にご教授頂きました。

http://bijingakenkyukai.jimdo.com/研究会/第2回/

美男子の三代目菊五郎は、楽屋の鏡に自分の顔を映しながら「どうして俺はこんなにいい男なんだろう」と呟いたというエピソードもあります。

役者が描かれた団扇は、一本十六文で、他の団扇絵が十二文~十四文だったそうで、他の団扇よりも若干お高めでした。

2016年

4月

02日

第6回「美人画研究会」1周年になりました

4月2日(土)に第6回美人画研究会を開催いたしました。

お陰様で昨年3月に第1回目を開催してから1周年となりました。

ご参加くださった皆様、応援して下さった皆様、皆様のお陰で1周年を迎えられましたことを、心よりお礼申し上げます。

 

下記、第6回美人画研究会の内容をご報告させて頂きます。


     

初の試み「美人を描こう パート1」

6名の方が描いて来て下さった吉永小百合さんの作品を並べて鑑賞し、小百合さんを描く時のポイント、描く時に苦労した点などをお聞きしました。

顔が整っている女性の顔は描くのが難しいというご意見が多かったですが、どれも美しい「美人画」でした。

 

私の今回の発表は、川越のそば屋さんで見つけた歌川国貞の浮世絵美人について発表しました。

ただ一方的に話すのではなく、参加者の皆さんに下記質問をしました。

 

Q1.この絵は何屋さんでしょうか?

Q2.看板の上には何が乗っているでしょうか?

Q3.何のために●●が看板の上に乗っているでしょうか?

Q4.いつ頃から●●が■■屋で使われるようになったでしょうか?

Q5.雪景色の場所はどこでしょうか?

Q6.どのような女性に見えますか?

Q7.女性が持っているものは何でしょうか?

 

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2016年

3月

18日

「俺たちの国芳 わたしの国貞」レセプション展

Bunkamuraザ・ミュージアム「俺たちの国芳、わたしの国貞展」のレセプションに行って来ました。

オープニングには、この展覧会の音声ガイドのナレーターを務めた、中村七之助さんが登場し思わず興奮してしまいました。

幕末期に一世を風靡した国芳と国貞。浮世絵三ジャンルのトップに歌川派の絵師の名前が並んだ、評判記『江戸寿那古細撰記えどすなごさいせんき』(嘉永6年刊)には「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」と記されており、国貞と国芳の活躍を端的に伝えています。この「豊国」は初代ではなく、三代豊国を襲名した国貞のことです。

現在、歌川派といえば、国芳や広重がまず頭に浮かぶ方が多いと思いますが、当時は国貞を柱として、歌川派の絵師たちは文化文政に続く旺盛な制作活動を繰り広げたのです。国貞はこの二人の絵師よりも生涯に制作した浮世絵は3万点以上と圧倒的に多く、人気も別格でした。

 

歌川国貞

国貞は、10代で歌川豊国(後期浮世絵界における歌川派全盛の基礎を作った絵師。歌川派を創始した豊春門下)に入門し、早くからその才能を見込まれた国貞。文化11.12年(1814.15)、29歳の時に発表した、役者大首絵の傑作≪大当狂言ノ内≫シリーズ(7枚揃)の成功を弾みとして、天保15年(1844)「豊国」を名乗りました。(国貞の前に二代目を名乗った豊重がいるため、現代では一般的に三代豊国と呼ばれます。)人気と実力を兼ねそろえた国貞は、役者絵と美人絵の二大ジャンルを精力的に筆を取り、当時随一の大御所絵師として認識されていたのです。

 

歌川国芳

国芳は、豊国に入門した後、すぐに活躍することができず、兄弟子の国直の家に寄宿しながら模索の日々を送りましたが、文政10年(1827)中国で生まれた武勇伝『水滸伝』に取材した≪通俗水滸伝豪傑百八人之一個≫が人気を博したことにより、武者絵の国芳としての地歩を確立しました。天保末以降、三枚続きの大画面を駆使したダイナミックな構図や、洋風表現を用いた奇抜な表現の浮世絵が注目を集め、天保の改革の取り締まりが緩み始める弘化4年(1847)頃から、役者を動物や器物に擬人化するユニークな表現を確立し、国芳の才能が開花しました。

 

七之助さんの音声ガイドを聞きながら、ボストン美術館の素晴らしい作品を心行くまで堪能してきました。

この日限定で、国貞作品の撮影許可の場所があったので、ご紹介したいと思います。

歌川国貞≪本朝風景美人競≫天保初期頃

「相模江ノ島」「大和吉野」「駿河三保」「陸奥松島」

美人と日本各地の名所を小間絵に描きこんだ揃い物のうち四図。藍摺りの名所の周りには吊灯篭(針金に板ガラスや色ガラスのビーズが装飾されたもの)が華やかで目を引きました。四人の女性全て裸足で描かれていますが、「大和吉野」(中央上)黒頭巾を被った藍一色の着物の女性は寒さに震えているようにも見えます。この女性について、源義経と静御前の切ない別離の場を描いたものではないかとの指摘もあるそうです。

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2016年

1月

09日

千葉市美術館「初期浮世絵展」レセプション

母校の稲垣先生にご招待頂き、千葉市美術館「初期浮世絵展ー版の力・筆の力ー」レセプションパーティーに張り切って着物で行って来ました。

初期の浮世絵に焦点を当てた展覧会はあまり開催されないため、年末から心待ちにしていました。この展覧会は、歌麿、写楽、北斎、広重など、いわゆる浮世絵黄金時代のものではなく、初期浮世絵に焦点を当てています。
近世初期風俗画から、浮世絵の始祖と位置づけられる菱川師宣、歌舞伎絵界に圧倒的な地位を築いた鳥居清信や鳥居清倍、浮絵や柱絵を草案した奥村政信、紅摺絵の美人絵の名手である石川豊信、そしてフルカラーの高度な多色摺木版画技法の錦絵を誕生させた鈴木春信の登場まで堪能できます。
稲垣先生からご教授頂いた内容や私の感想なども交えながら、一部の作品をご紹介したいと思います。

レセプションパーティーの後、展示室へ


<近世初期風俗画>

展覧会場に入ると、まず出迎えてくれたのが、近世初期風俗画。(中世末から桃山時代を経て江戸初期にわたって生まれた新興の絵画を「近世初期風俗画」と呼びます。)浮世絵が一般の人々に普及する以前、室町時代の終わりから江戸初期にわたる準備期間が、京を中心にありました。この近世初期風俗画は、やがて誕生する江戸庶民の浮世絵の母体となったのです。

寛永期(1624-44)になると、年中行事や日常生活の様子を京の街並みや名所を屏風に描いた「洛中洛外図」の一部分を拡大してアップで詳しく見たいという欲求が高まり、屏風にあでやかな着物を着た女性が描かれ、それが小さな掛幅となりました。

「寛文美人」と呼ばれた肉筆画は、高価で一部の金持ちのためのものでした。

繊細な描線で描かれた踊り子の掛幅は、床の間に飾れば部屋がパッと明るくなったでしょう。画面上部の余白は金色に埋め尽くされ、唐輪髷に髪を結ったこの遊女が引き立って見えます。白い小花を散らし地に絞り模様などを染め分けた手の込んだ着物に、金の牡丹唐草があしらわれた帯を締め、なんとも豪華でした。

<菱川師宣>

浮世絵の創始者と位置づけられる菱川師宣は、大和絵師と自称し、版画や版本の他にも屏風や絵巻、掛幅と様々な形式で肉筆画を描きました。

師宣と言えば、まず「見返り美人」が頭に浮かびます。彼は元禄期(1688~1704)に多くの一人立ち美人を肉筆画に捉えていますが、その中に若衆の作品があることはとても珍しいです。振袖の羽織を着ていた姿を見て、最初女性なのではないかと思いましたが、実は男性なんです。エメラルドグリーンの色の着物が美しく、まだ前髪を剃らない若い男性は色子のようにも見えます。

菱川師宣『武家百人一首』

寛文12年(1672)、初めて絵師の名前が記された絵入本『武家百人一首』が世に出たのですが、その時の作品も展示されていました。絵師の名が記されたことは、浮世絵師の力が初めて認められたと言っても過言ではないでしょう。

『武家百人一首』は、100人の武家の歌人と歌、上部に注釈と歌の光景を表した絵本です。大衆の人気を得た師宣は、好色本を主に次々と絵入本を刊行しました。師宣の好色本なども展示されていました。やがて、絵本の挿絵が鑑賞用として一枚絵に独立し、浮世絵が普及します。墨一色の大量印刷のため値段が安く、誰でも買えるため、浮世絵が庶民の美術になったのです。

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研究発表

2015年9月12日に開催された第20回日本顔学会にて、「美人画研究会」で発表した研究内容の一部をポスター発表させて頂きました!
多くの方がお越し下さり、また「美人画」について貴重なご意見を頂き、大変勉強になりました。
皆様、誠にありがとうございました。

★クロアチア旅行★

2015年8月末より、妹とクロアチアへ行って来ました。

クロアチアは、それほど大きくない国土の中にユネスコの世界遺産が7つも登録されています。

宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』や『魔女の宅急便』はクロアチアのアドリア海が舞台だったことはご存知でしょうか。

この映画には風光明媚なアドリア海の景色が描かれています。

 

妹とクロアチアの大変素晴らしい光景を目に焼き付け、みなさまにお伝えできればと思い、ブログに載せてみました。

正面顔ばかりの写真で恐縮ですが、下記ご覧頂ければ幸いです。

 

【クロアチア 首都ザグレブ】

ザグレブの街は、19世紀以降に造られた新市街と、18世紀以前の街並みが広がる旧市街とに大別されます。

その歴史は、11世紀にハンガリー王(ラースロー1世)が現在の地区をローマ・カトリックの司教区として定めたことからはじまるそうです。13世紀には自由都市として認められ、商業の街として栄えました。

 

天に突き刺さるように伸びる二つの鐘楼(一つは工事中でした)が印象的な聖母被昇天大聖堂や、屋根のモザイクが目印の聖マルコ教会など、ザグレブのランドマークを観光し、当時の面影を肌で感じました。

石の門にて。1731年の大火災で城壁と現在の石の門周辺が焼け落ちた際、灰の中から見つかったというマリア像。普段は柵の中からしか見ることができないそうなのですが、偶然柵が開いた時に撮影することができました。


ザグレブ観光後は、ラストケ村へ。


おそろいのハート型のサングラスをしてみました♡


【プリトヴィッツェ湖群国立公園】世界自然遺産

1979年に世界自然遺産に登録されたプリトヴィッツェ湖群。

16の湖と90以上の滝が点在。石炭を含む台地が天然のダムとなり、16の湖が無数の滝で繋がっています。水がとても澄んでおり、その時々で科学変化によって湖の色が変わるそうです。

エメラルドグリーンに輝く湖を眺めながら上湖群と下湖群を散策し、とても癒されました。

その後、7時間かけてドブロブニクへ


【ドゥブロヴニク旧市街】世界文化遺産

クロアチア屈指の観光地、ドゥブロヴニクは1979年世界文化遺産に登録されました。

アドリア海に面したこの街は、かつてラグーザ共和国というひとつの国でした。ビザンツ帝国に従属していましたが、十字軍の到来に伴ってヴェネツィアの支配下に。14世紀以降はクロアチアの自治州となり、長きにわたって独立を貫いてきた希少な街でもあります。

この街には、城壁に囲まれた旧市街に各時代の貴重な建物が残っています。


スルジ山は絶好の眺望スポットでした!!

ドゥブロヴニクに到着した夜、そして次の日の朝も山頂までロープウェイで登り、旧市街の美しい姿を目に焼き付けました。


旧市街に点在する歴史的建造物を観光し、城壁ウォーキング

中央にドームを持つ壮麗なバロック様式の大聖堂。内部には祭壇があり、ティツィアーノの祭壇画『聖母被昇天』が飾られていました。

城壁の上に巡らされた1周2kmの遊歩道を歩きました。

ピレ門横の階段を上ると見えるのがこの光景。オノフリオの噴水やルジャ広場、鐘楼が見えます。

しばらく歩くと出会えるのは、ロヴリイェナツ要塞。海抜37mの岩山上に立ち、海と陸の双方から街を守る役割を果たしたそうです。

城壁ウォーキングの後、クルーザーでドブロブニクの景色を堪能

【スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿】

1979年世界文化遺産に登録

ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿は、1700年ほど前の建物と、この敷地内に住む人々の生活が一体となった不思議な街です。

この皇帝は303年にキリスト教弾圧の勅令を交付し教徒たちを迫害しました。そのためキリスト教徒から憎まれているそうです。

 

宮殿の地下を見学した後、鐘楼へ登り、スプリットの街を一望しました。


【古都トロギール】

1997年世界文化遺産に登録


聖ロヴロ大聖堂はトロギールで最も重要な建築物です。

初期キリスト教の教会があった場所に1315世紀にかけて建てられました。シンボルの鐘楼は17世紀初頭に現在の姿になったそうです。

 

入口にはロマネスクの彫刻があり、窓はゴシック様式などで構成されています。

一階の窓 アーチの先が尖ったゴシック様式(1422年修復)

二階の窓 この地方でよく見られるというヴェネツィアンゴシック様式(15世紀半ば完成)

三階の窓 後期ルネッサンスのマニエリスムの影響がみられます(1605年完成)

 

観光後、リゾート地オパティアへ


クロアチアの柄なのでしょうか。お揃いのTシャツを購入し、早速着てみました。


最終日は、国境を越えてスロヴェニアへ

ポストイナ鍾乳洞、ブレット湖、リュブリャナを観光しました。

クロアチアから帰国した次の日は、軽井沢での研究合宿に参加しました。

旅行中パワポを作成する時間が取れなかったため、帰宅した夜21時から深夜まで作り、無事に発表することができました。

軽井沢では、一度行ってみたかった千住博美術館に足を運ぶことができました。

★桟敷席で歌舞伎鑑賞★

2015年8月6日 歌舞伎初日

人生初の桟敷席で、第三部「芋掘長者」「祇園恋づくし」を鑑賞しました!!
「芋掘長者」緑御前役の中村七之助さんの舞は妖艶で目が釘付けになります。
七之助さんを見ると、江戸時代の女方随一、二代目瀬川菊之丞もこのように美しかったのかなぁなんて想像してしまいます。

★江戸時代の歌舞伎の観劇の方法は、桟敷席と平土間、さらに安い席で見る方法などがありました。(桟敷席と平戸土間には各種類があります)
入口に「鼠木戸」という狭い出入り口があり、その横には「札場」がありました。平土間で見る客はここで入場券の札を購入し、入場しました。
 
では、なぜ「鼠木戸」のような狭い入口にしていたのでしょうか?それは、狭い入口にして、タダで入る人をチェックしていたからです。現在の歌舞伎座のように、広い入口にしてしまうと、こっそり無料で入ってしまう人がいたので、このような造りにしたそうです。ただし、タダで入る客もいました。(ヤクザなど)
 
大変高価な桟敷席は茶屋などで予約しました。桟敷席では茶弁当などが拡げられ、優雅な宴席になり、平土間では饅頭売りや菓子売りなどがやってきて、買い食いをしていたそうです。


この日、なんと招待券で鑑賞することができ、とても贅沢すぎるひと時でした。
★歌舞伎知識
・時代物
江戸時代以前の公家や武家の社会を描いた作品のこと。(江戸時代に起こった出来事をそれ以前の時代に置き換えたものもあります)
歌舞伎興行の最初に上演される、一番目狂言はこの時代物で、曽我物や仇討物などが含まれます。
 
・世話物
江戸時代の町人生活を題材とした作品のこと。特に身分の低い庶民の生活をリアルに描いたものは「生世話物きぜわもの」と呼ばれます。
一番目狂言の後に上演される二番目狂言には、世話物が上演されます。

恵比寿ランチ

妹が誕生日をお祝いしてくれました☆
「お姉ちゃん、伊万里焼好きだから、このお店にしたよ」
妹が伊万里焼好きの私のために恵比寿にあるこのお店を選んでくれました。
クロアチア旅行に一緒に行けたら良いなぁと思いながら、至福のひと時を過ごしました。


お店には、染付や金襴手様式の伊万里焼が飾られていました。
お庭で記念撮影

誕生日

今年の誕生日は、多くの方がお祝いして下さり、たくさんケーキを食べました☆