浮世絵コンシェルジュ 畑江麻里

2019年

11月

12日

美人画研究会

先日、9月28日(土)美人画研究会の顧問でもある
原島博先生(東京大学名誉教授)の
「HC塾第100回記念講演会」が
東京大学福武ホールで行われました。

至らない点が多く大変恐縮ですが、
私はこの記念パーティの司会という大役を
させて頂きました。

そのため普段着ないような服装です…笑

カメラマンの方が写真を撮って下さったので
備忘録のため、こちらにもアップしました。



【お知らせ】

美人画研究会では随時「美術館巡りの会」や「個展訪問の会」などを企画しております。

この秋冬は以下のような「美人画資料閲覧会」を
企画しました。

今年6月に「日曜美術館」(NHK)で取り上げられた
岡田三郎助(明治~昭和初期に活躍した洋画家)は、
着物姿の女性を描き、独自の美人画を生み出しました。後ろ姿の美しい《あやめの衣》を所蔵するポーラ美術館への「美術館巡り」をしたいところですが、
少々遠方になりますのでなかなか実現できずにいたところ、昨年末~今年初めに同美術館で開催した
「モダン美人」の展示に出されていた「主婦の友」の表紙画を東京都品川区にあるポーラ文化研究所で所蔵されていることが分かりました。
これは当時の一般女性をモデルに描いた美人画です。
また、素人女性の日本初となる美人コンテストの写真集『日本美人帖』(主婦の友社)も所蔵されています。

ポーラ文化研究所は、日本顔学会の副会長であった
故村澤博人先生が所長をされていた研究所であり、
日本顔学会との関係も深く、同学会の公認サークルである美人画研究会の閲覧申し込みを快くお引き受けくださりました。

是非この機会にポーラ研究所の資料を見せていただき、今後の美人画研究や創作に役立てていきませんか?
 
 日時:2019年12月11日(水)  PM5:00~PM7:00 (2時間限定)
 場所:ポーラ文化研究所 品川区西五反田2-2-10 ポーラ第2五反田ビル
 募集人数: 10名まで
 


★最後に…

こちらのホームページは、無料のものを使用しているため、容量がいっぱいになってきてしまいました。。

写真が表示されるまでに時間がかかってしまっているかと思います。

近況等々、
Instagramでも報告できればと思います!

「hataetti」で登録して随時更新していますので、
もしよろしければご覧頂ければ幸いです。

2019年

9月

22日

美人画研究会 6人展(クリエイティブ)

美人画研究会クリエイティブ会のメンバーによる

初のギャラリー展がはじまりました!

 全く違う感性、画材の6人の描いた美人画を

ご覧頂けます。


今日はオープニングで渡せなかった母の誕生日プレゼントを届けに、再度展示を観に行ってきました。


開催してから意外に多くの方々がいらしていることに驚いています。



会期は2019年9月20.21.22.26.27.28日

午後1時から7時まで。最終日5時まで。

京橋1丁目ギャラリー・オルテールにて。



2019年

7月

07日

第20回 美人画研究会

2019年7月6日(土)

「第20回美人画研究会(アカデミックタイプ)」を開催いたしました!

(美人画研究会主催:畑江麻里)

 

お陰様で、2014年の発足時から

アカデミック・クリエイティブ含め

今回で20回目を迎えることができました。

 

会を重ねるごとに若い学生さんの参加も見られるようになり

40名近くの方々が集まって下さり、本当に嬉しかったです。

 

また今回、中山道広重美術館の方が美人画研究会のために

岐阜からいらして発表して下さり、会がより一層盛り上がりました!

 

ちなみに今回、私は参加者の方からもう一度聞きたいとのご意見頂き

今年3月末に竹久夢二学会でお話した内容の一部をお話しました。

 

詳しい報告は、美人画研究会のホームページに

掲載できればと思います。

 

担当:畑江麻里

2019年

5月

24日

美人画研究会の活動報告


「美人画研究会」の活動報告が日本顔学会のニューズレターに取り上げられました!


※日本顔学会とは人間の顔貌を様々な切り口で研究している学会です。主に歯学や工学、化粧文化学、心理学など多くの研究者や職業の方が会員になっています。

美人画研究会はこの学会の公認サークルとして活動しています。


今回の記事は、執筆者の松永さんが主催する

絵を描く「クリエイティブタイプ」の会が中心に

書かれています。


もしよろしければご覧頂ければ幸いです。

こちらは、カラーの写真です。


次回の美人画研究会は、
7月6日(土)13時より開催することが決まりました!

日時 : 7月6日(土)

時間 : 13時から17時

場所 : 拓殖大学文京キャンパス
丸ノ内線の茗荷谷駅から徒歩5分

プログラムにつきましては、
1ヶ月前の6月6日頃にお知らせしたいと思います。

アカデミック美人画研究会
担当:畑江麻里

2019年

5月

09日

『LOTSU』第39号に論文掲載されました

新緑の美しい季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

令和に改元されてから初めての投稿です。

この度、昨年秋に日本フェノロサ学会にて研究発表しました論文

 

「大正期「複製浮世絵」における高見澤遠治

―その卓越した精巧さの実見調査と、岸田劉生らに与えた影響の考察―」

畑江麻里

 

が日本フェノロサ学会機関誌『LOTUS』第39号に掲載されました。

学会誌に掲載された論文の抜き刷りが出来上があり、今回の論文で取り上げた

高見澤遠治のご遺族・高見澤たか子様にお送りしましたところ

「一生懸命書いてくださったことがわかり、とても

胸打たれました」

「才能はあっても結局は孤独な天才であった遠治にとって、

後世になってこのような光が当てられることなど予想しなかったと思います。

あなたのような研究者の目に留まり、こうしてその短い生涯を明らかにしてくださって、さぞ喜んでいることでしょう。」

 

と、身に余るお言葉を頂き

仕事と両立しながら毎日徹夜で挑んだ努力が

報われた気持ちになりました。。泣

 

今回の論文を執筆するにあたり、

遠治の貴重な作品や資料を調査させて下さり、

また美人画研究会にもいらして下さった

高見澤たか子様。

 

先行研究がほとんど皆無で、

これまで研究対象から外されていたといっても過言でない、

高見澤遠治と彼の作品の調査・研究に挑んで本みて本当に良かったです・・

 

論文の構成

「大正期「複製浮世絵」における高見澤遠治

―その卓越した精巧さの実見調査と、岸田劉生らに与えた影響の考察―」

 

はじめに

第一章 「複製浮世絵」出現の背景と高見澤遠治の登場

(一)「複製浮世絵」出現の背景

(二)大正期の「複製浮世絵」

第二章  大正期における高見澤遠治の複製浮世絵

(一)『高見澤遠治版畫規定』に記された遠治の作品

(二)遠治の複製浮世絵を見分ける汎用的方法論の提唱

第三章 岸田劉生らの評価と高見澤遠治の存在意義

(一)吉田幸三郎と遠治の関係

(二)岸田劉生と当時の研究者達からの評価

(三)研究目的の挿絵としての機能と遠治の存在意義

結語

 

2019年

3月

23日

竹久夢二学会で研究発表

2019年3月30日(土)

竹久夢二学会で研究発表することになりました。
「竹久夢二の「美人画」の線
ー現代浮世絵彫師の作品の分析からー」
畑江麻里
 
前回の美人画研究会で、楊洲周延の発表をした際、夢二の時代と近いので「竹久夢二学会」で発表してほしいと頼まれまして、今回このテーマで研究発表することになりました。
鈴木春信・喜多川歌麿に代表される浮世絵美人画は江戸時代だけでなく明治時代にもあり、竹久夢二が大正期に突然登場したのではなく、その前に明治の美人画の隆盛や構築があったのです。
 
では今回の発表でなぜ現代浮世絵彫師の作品を切り口にしたのかというと、美人画研究会の鑑賞会で、岡部昌幸先生の所蔵する美人画コレクションを鑑賞した際、その中に竹久夢二の《女十題》の複製版画があり、この作品の彫を担当した朝香元晴氏が参加して下さったため、あらためて複製版画の価値を認識し、朝香氏は夢二の複製作品の中心的な彫師であるため、今回取り上げることにしました。
 

2019年

3月

10日

美人画研究会の浮世絵鑑賞会

「第18回美人画研究会」にて、稲垣進一先生(国際浮世絵学会常任理事)の所蔵する浮世絵を一人一人手に取って間近で鑑賞させて頂きました。

こちらは歌川国芳の美人画ですが、

左がオリジナルで右が複製!

オリジナルと複製の紙の厚さを実際に指で触って比較するという、博物館・美術館では絶対できない体験ができました✨


今日は、浮世絵鑑賞会で手に取って間近で観た、こちらの作品をご紹介します。

歌川国芳《縞揃女辨慶  勧進帳》

天保15年(1844)大判錦絵 ※実物の浮世絵です


黒と白の格子柄「弁慶縞」の着物を着た女性たちの生活の一場面を武蔵坊弁慶の逸話に見立てた全10枚のシリーズの内の一枚。

この女性が真剣に見ているのは、当時最も普及した暦の「伊勢暦」です。この伊勢暦の表紙の題箋に「天保十五甲辰暦」とあるので、このシリーズの制作年が判ります。

タイトルにも狂歌にも「勧進帳」とあるように、伊勢暦を読むこの女性は、勧進帳を読み上げた弁慶に見立てられています。

2019年

2月

18日

第18回 美人画研究会

2月16日に「第18回美人画研究会(アカデミックタイプ)」を拓殖大学文京キャンパスにて開催しました!

(美人画研究会主催:畑江麻里)


お忙しい中お越し下さった方々、本当にありがとうございました。


仕事をしながら美人画研究会の運営、発表、司会、懇親会の準備を一人で行うのはかなり大変でしたが、大盛況に終わりとても嬉しかったです…

 



参加者の斎藤さん(テレビチャンピオン似顔絵優勝者の方)が、研究発表の後に行った浮世絵・美人画鑑賞会のビデオをユーチューブにアップして下さいました。

もしよろしければご覧ください。

 

https://youtu.be/tHo-W_AZW1Q

当日の報告は、美人画研究会のホームページにもアップできればと思います。

【研究会の内容】
第1部 
主催者挨拶       畑江麻里
「明治の美人のファッションー楊洲周延を中心にー」
畑江麻里
若手研究者による次回の発表
「内面美の探求Ⅱー絵画が語る内面美の種類と特徴ー」
成瀬康人
コーヒーブレイク・ディスカッション

第2部
「歌麿の美人画ー《姿見七人化粧》と彫師・朝香氏の複製浮世絵ー」
畑江麻里

浮世絵鑑賞会
「稲垣先生所蔵 歌麿《ポペンを吹く娘》の版木と浮世絵の解説」

絵画鑑賞会・懇親会
会場 拓殖大学文京キャンパス
第一部
「明治の美人のファッション
ー楊洲周延を中心にー」   畑江麻里

「内面美の探求Ⅱ ー絵画が語る内面美の種類と特徴ー」
成瀬康人


第二部
「歌麿の美人画
ー《姿見七人化粧》と彫師・朝香先生の複製浮世絵ー」
畑江麻里

【浮世絵鑑賞会】
稲垣進一先生所蔵「喜多川歌麿《ポペンを吹く娘》の版木と浮世絵の解説」

稲垣先生が所蔵する歌麿の《ポペンを吹く娘》の版木と浮世絵をはじめ、江戸中期から後期までの現物の浮世絵を一人一人、手に取って間近で鑑賞させて頂きました。


研究会の後は、教室を移動して、
大学ラウンジへ。
岡部先生による美人画鑑賞会を行いました。
渡辺省亭《今様美人図》明治19年(1886)絹本着色
岡部先生による作品解説。

有島生馬《南米の女》墨・紙 

田口省吾《少女像》

マリー・ローランサン《少女と犬》1930年代 リトグラフ

2019年

1月

07日

学会誌『LOTUS』論文掲載が決まりました!

明けましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

私事で恐縮ですが、昨年、日本フェノロサ学会研究大会(於東京藝術大学)にて発表しました論文が、査読の結果、学会誌『LOTUS』第39号(2019年3月末刊行)に掲載されることが決まりました!

「大正期「複製浮世絵」における高見澤遠治
ーその卓越した精巧さの実見調査と、岸田劉生らに与えた影響の考察ー」

◆査読講評
・浮世絵研究にあたって、高見沢版の名前はよく知られているが、版画それ自体の複製の問題から贋作と見なされたり、あらぬ汚名を着せられたりしてきた。今回の論考は、先行論文の検証に加えて、かつてない実証的な資料や聞き書き調査によって、その真実に迫った有意義な研究であったことを挙げたい。
・これまで先行研究がほぼ皆無といえる高見澤遠治に関する、綿密な調査による研究成果として大変貴重な論考と考えられる。

2018年

11月

27日

ゲストスピーカーとして講演してきました

2018年11月26日(月)

文教大学の授業にて、浮世絵をテーマにゲストスピーカーとして講演してきました!

 

なぜ私が選ばれたのかというと、2年ほど前の「美人画研究会」での発表を聞きにいらして下さった先生からお声掛け頂いたからです。

大勢の学生を前に大教室で話すのは、学会発表とはまた違った緊張感がありましたが、なんとか1時間半、話し切ることができました!

 

この講演の途中で、2019年2月16日(土)に拓殖大学文京キャンパス(丸の内線茗荷谷駅から徒歩5分)で開催する「美人画研究会」(畑江担当)の案内を少しだけさせていただきました。

次回の美人画研究会は研究発表&絵画・浮世絵鑑賞の会です。

場所が拓殖大学なので、湘南にある文教大学からだとかなり遠いですが、興味をもってくれた学生さんがいたので嬉しかったです。

 

この講演の記録写真と映像を文教大学の学生さん(日本学生観光連盟の矢島優樹君と多胡翔君)が様々なアングルから撮ってくれたので、とても良い記念になりました!

 

2018年

9月

28日

【日本フェノロサ学会 研究発表】 無事に終わりました!

2018年9月28日(金)東京藝術大学にて開催された日本フェノロサ学会での研究発表「高見澤遠治と大正期「複製浮世絵」の勃興」が無事に終わりました!

会長からお褒めのお言葉をいただき、意外に好評だったので本当に嬉しかったです・・・

 

 今回の発表で取り上げた高見澤遠治(1890~1927)は、江戸以来の高度な木版技術により、大正期に優れた複製浮世絵を制作した最たる人物です。

 遠治はあまり知られていませんが、日本文化の保護、育成に生涯を捧げた吉田幸三郎(1887~1980)から「浮世絵保存刊行会」という会員制の複製浮世絵の頒布形式の制作をすすめられ、この刊行会の会員となり遠治の複製浮世絵を多く蒐集し、親友にまでなった岸田劉生(1891~1929)からもその技術を高く評価された人物でした。しかし遠治は、晩年に松方幸次郎の浮世絵コレクションの復刻浮世絵の制作に抜擢されたにも関わらず、それを手掛けることがかなわないまま36歳という若さで死去してしまったこともあり、現在では正当な評価をされることなく忘れ去られた人物になってしまいました。

 

以下は学会で話した内容の一部と、レジュメなどです。


  今回も会長はじめ多くの先生方が学会誌への投稿をすすめて下さり大変恐縮しています。。

 

■先行研究と問題の所在

 高見澤遠治の経歴やその記録については、遠治の弟の娘である高見澤たか子氏によって詳細に伝わっていますが、遠治の制作した複製浮世絵やその仕事については、岩切氏が指摘するように、誇大的に遠治の様々な伝説が広まり彼の仕事の全貌が不明な事、遠治の仕事の全貌である展覧会が開かれたことがなく、遠治の作品であると確実にわかるものをこれまで見ていないこと、遠治のものと判定することが難しいことなどが指摘されており 、未だ遠治の手掛けた複製浮世絵についての研究論文はなく、遠治研究は全く進んでいないのが現状です。

 そこで、本発表では、高見澤遠治と彼が手がけた複製浮世絵に焦点を当て、遠治の複製浮世絵の存在意義について追求します。そして、吉田幸三郎や劉生との関係や当時の研究者たちの遠治の評価に留意しながら、複製浮世絵が勃興した大正期において、高見澤遠治は、一時代の複製浮世絵界を支えた存在として認知すべき、重要な人物であることを提示することを目的とします。さらに、吉田が大和絵同好会を企画し、大正8年より絵巻物複製の刊行に当たり、水準高い複製類の出版を行ったのは、遠治と組んで行った複製浮世絵が影響を与えた可能性も指摘します。

 

 

 

2018年

9月

27日

日本フェノロサ学会 研究発表

 9月28日(金)に東京藝術大学にて開催される日本フェノロサ学会にて、今年も研究発表することが決まりました!

※学会ホームページは更新されていませんが以下の内容で発表します。

 

発表題目:高見澤遠治と大正期「複製浮世絵」の勃興(仮)

会場:東京藝術大学上野キャンパス

 

発表内容:

 


明治維新以降、W.S.ビゲローに代表される海外の蒐集家達によって膨大な数量の浮世絵が購入され、国内の浮世絵価格が高騰したため、多くの人々が安価で楽しむ需要が起き「複製浮世絵」が登場した。これは渡邊版画店等による「新版画」と軌を一にした高度な技術によるものであったにもかかわらず、近年まで十分な歴史的評価、研究が行われてこなかったのは、浮世絵研究の基準と価値が依然として江戸期を時間軸にしていたためと思われる。実際は大正期に、岸田劉生(18911929)をはじめとする当時の美術愛好者や研究者達によって積極的な蒐集が行われていたのである。

本発表では、江戸期の伝統的技術を受け継ぎつつ、独自の高度な技術を駆使して優れた複製浮世絵を制作した最たる人物である高見澤遠治(18901927)とその作品を取り上げ、その後、現代まで発展する「複製浮世絵」の重要な意義を明らかにすることを目的とする。

 

※規定の400字以内にまとめて書いたものです。

2018年

8月

06日

明治の洋装美人 作品解説

楊洲周延《墨田花高貴の遊覧》明治11年(1888)大判錦絵三枚続

美人画研究会で何度か取り上げた、浮世絵をご紹介します♪
こちらの作品には、咲き誇る隅田川の桜の下、画面中央には明治天皇、彼の視線の先には扇子を持つ皇后(後の昭憲皇太后)、そしてその周りには次女たちが描かれています。

 

彼女たちが身にまとう、後ろの腰を膨らませヒップラインを強調した華やかなドレスは、鹿鳴館時代に大流行した「バッスル・スタイル」と呼ばれるもので、文明開化の世相の中でも明治の先端をいく洋装のドレスとして、上流階級の女性たちに好まれたものです。

浮世絵美人画展にも出展されたこちらの作品は、今年とあるイベントにて大きなパネルで登場し、若い女性に人気でした!

 

~お知らせ~

美人画研究会は、2017年より、絵を描く「クリエイティブ」と研究発表をする「アカデミック」の二つに分けて活動していますが、次回は8月26日(日)にクリエイティブの会を開催します。(こちらは私は主催ではありません)

夏目漱石の小説に登場する美人を描くことなど盛りだくさんの内容になっています。

詳しくは美人画研究会のホームページをご覧いただければ幸いです。

 

2018年

7月

09日

第15回美人画研究会

2018年7月7日(土)

 第15回美人画研究会を無事開催することができました!(私が当研究会を担当するのは約1年半ぶりでした)

  この日、他の研究会などと開催日がかぶり参加者いないのではないかと懸念していたのですが、このような小規模な研究サークルに40名以上の参加者のお申込みがあり、予想を上回る程の大盛況だったので、心より嬉しく思っております。

 

  今回、私が発表した、複製浮世絵師・高見澤遠治のご遺族であられる高見澤たか子先生や、現代の浮世絵彫師・朝香元春先生とその版画教室の生徒さん達数十名もご参加下さいました。

 この集合写真は第2部がはじまる前に撮ったため、第1部のみご参加の方々は残念ながら写っていないのですが、美人画研究会顧問の原島博先生(東京大学名誉教授)や会場を手配して下さった岡部昌幸先生もご自身が主催されている塾や研究会の前に急いで駆けつけて下さいました。

お忙しい中お越し下さった方々、当研究会をサポートして下さる先生方に深く御礼申し上げます。

〜研究会の内容〜

 

第1部

「複製浮世絵師・高見澤遠治と江戸以降の浮世絵」

畑江麻里

「東郷青児の作品と生涯ー東郷式美人画の誕生」

岩崎達也

第2部

「歌麿の色彩美 世界で一番美しい歌麿はこれだ」

稲垣進一先生

浮世絵鑑賞会

 

 

研究会の内容は美人画研究会のホームページをご覧いただければ幸いです。











2018年

7月

08日

第15回美人画

2018年

7月

06日

美人画研究会 前日

いよいよ、明日7月7日(土)13時より拓殖大学にて、第15回美人画研究会が開催されます。
今回、思いがけず40人ほどの参加のお申し込みがあり(一部のみの参加者含め)とても驚いております。
また、私が発表する複製浮世絵師・高見澤遠治について興味を持って今回新たに参加してくださる方が20名ほどいたことも本当に嬉しい限りです。遠治は一般に全く知られていない知る人ぞ知る人物ですが、この発表をきっかけにいつか遠治フィーバーが起これば幸いです。
まだまだ勉強不足で恐縮ですが、これから浮世絵研究の中で全くやられていない複製浮世絵の歴史についても研究していけたらと思っています。
今からの参加のお申し込みは対応が難しくなってしまいますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

2018年

5月

18日

東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」展 内覧会

友人が担当した超画期的な展覧会「夢二繚乱」が明日から、東京ステーションギャラリーにて開催されます!
今日はその内覧会に行ってきました🎵
千代田区九段南にある出版社、龍星閣の創業者であった澤田伊四郎氏が蒐集した1200点以上の夢二コレクションが千代田区に寄贈されたことを記念した展覧会なので、これまでの竹久夢二展では観たことがない初公開の作品ばかりが展示されていて、2時間半も見入ってしまいました。
第1章 夢二のはじまり
第2章 可愛いもの、美しいもの
第3章 目で見る音楽
第4章 『出帆』
夢二の展覧会というと美しい女性の肉筆画がメインになるものが多いですが、この展覧会は肉筆の美人画だけでなく、装丁本や絵本、絵葉書から自伝小説『出帆』の挿絵原画まであり、展示の仕方や見せ方も面白く、夢二の画業に多角的に迫った構成になっています!!    

夢二ファン、美人画ファンには待望の展覧会なので、是非お見逃しなく!!
5月19日(土)から7月1日(日)迄です❣️

2018年

5月

01日

「浮世絵モダーン 深水の美人!巴水の風景!そして...」展の内覧会へ

2018年4月20日(金)

町田市国際版画美術館「浮世絵モダーン 深水の美人!巴水の風景!そして...」展の内覧会に行って来ました!

この展覧会は、大正初期に登場した創作性の高い伝統木版の新版画を「浮世絵モダーン」と称して、橋口五葉や伊東深水、川瀬巴水などの傑作が約300点も展示される浮世絵ファン待望の展覧会です♪

この展覧会の構成は以下のようになっていて、各章ごとに撮影可能なコーナーが設置されています。

第一章 女性―近代美人画の諸相

第二章 風景―名所絵を超えて

第三章 役者―歌舞伎から新派まで

第四章 花鳥―求められる伝統性とその変容

第五章 自由なる創作―さまざまな画題と表現

※前期・後期と作品が変わるそうなので要チェックです!

 

2018年

4月

12日

匠木版画工房へ

浮世絵工房の「匠木版画工房ふれあい館(朝香伝統木版画教室)」に行って来ました。

卓越した彫の技術を持つこの浮世絵工房の彫師・朝香元晴先生と知り合ったきっかけは、今年の2月4日(日)に開催した美人画研究会でした。朝香先生の工房の生徒さんが美人画研究会に参加して下さり、(「美人画」と検索した際に「美人画研究会」を見つけて下さいました)この工房のことを知りました。

この工房の生徒さんに、私がいま高見澤遠治さんについて調査していることを話したところ、なんと朝香先生が高見澤遠治さんの弟の高見澤忠雄氏に師事していたとこのことで、早速お話をお伺いしに匠木版画工房ふれあい館へ行って来ました。

 

~朝香元晴先生が浮世絵の彫師になるまでをお聞きしたのでまとめてみました~

朝香先生が高見澤忠雄先生(私が現在調査している高見澤遠治さんの弟)に出会ったのは16歳の時だったそうです。忠雄先生の紹介で八重洲の事務所に半年いた時に「根気がありそうだから、京都に浮世絵の彫師の名人がいるから行ってみないか」との話があったそうです。しかしその時、朝香先生は実は芸大を目指していたらしく「芸大に行きたいのですが」と言ったところ、「そういう時間はない、すぐに行きなさい。世間の物心を知ってしまうとダメだから今行きなさい」と強く言われたそうです。「色気づく前に」と念押しされたそうで、(この「色気」とは世間の「色気」という意味だそうです)それで芸大に行くことをやめ、17歳になった時に、「もう行くしかない!」とのことで京都へ言って現在に至るとおっしゃっていました。

 

 詳しくは、朝香先生の浮世絵工房「匠木版画工房ふれあい館」

川瀬巴水《芝増上寺》大正14年(1925)復刻浮世絵
朝香先生が細かい雪の部分を彫っているところを見学しました。

2018年

4月

12日

複製浮世絵《當時三美人》

浮世絵の彫師・朝香元晴先生(匠木版画工房ふれあい館)が精魂込めて制作した複製浮世絵を拝見しました。

喜多川歌麿が寛政期のアイドル達を描いた代表作《當時三美人》(寛政の三美人ともいいます)

上から芸者の富本豊雛(芸富本節の名取り芸者)、画面手前右に水茶屋娘の難波屋おきた(浅草随身門脇の水茶屋娘)と、その左に高島屋おひさ(両国薬研堀の煎餅屋のおかみであり茶屋娘)

彼女達の顔は一見、同じように見えますが、それぞれ描き分けられています。目の大きさや鼻や眉毛の形など異なっています。

また、彼女達の髪の生え際の「毛割」の技法にもご注目下さい。

 

朝香先生はよく「こんなのすぐにできるでしょ」と何も知らない人に言われたりするそうなのですが、全くそんなことはありません!!この作品を制作するまでに、20年、30年。。。と地道に修行を積んでようやく完成の域に仕上がるのです。

一本一本の髪を彫り上げる「毛割」を手掛けるには、彫師の中でも最も高い技術を持つ師匠格の人間ではないとできないのですから、、気の遠くなる話です。。

2018年

2月

17日

第13回美人画研究会

2月4日 美人画研究会

遅くなってしまい恐縮ですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

先日、約1年ぶりに第13回美人画研究会に参加できました。
今回は、テレビチャンピオン似顔絵大会優勝者の斎藤忍氏のご発表や、昭和初期の美人画家・田中針水のご次男でいらっしゃる晃氏のご発表、そして浮世絵学会常任理事の稲垣進一先生のご講演とご自身でコレクションされた月岡芳年の浮世絵を皆で鑑賞するなど、盛りだくさんの内容でした。 
 
こちらの美人画研究会ホームページに活動報告を詳しくアップしておりますので、ご覧頂ければ幸いです。
 
 

2017年

12月

30日

2017年もありがとうございました

月岡芳年(大蘇芳年)の美人画シリーズ《東京自慢十二ヶ月》

2017年も残り1日になりました。今年もたくさんのメッセージ等々、ありがとうございました。

 今年最後の投稿では、ご質問等も受けた月岡芳年(大蘇芳年)の美人画のシリーズ《東京自慢十二ヶ月》についてご紹介したいと思います。

 

月岡芳年《東京自慢十二ヶ月》

明治13年(1880) 大判錦絵 版元:井上茂兵衛

 下記の作品は、当時有名な12人の芸者や遊女たちと、東京12ヶ月の名物風俗を組み合わせた美人画のシリーズです。

 1月の初卯詣、2月の亀戸の梅、3月の吉原仲の町の桜など、各月に応じた名物が選ばれていて、それぞれの地域に対応する女性が、新橋の芸者3名、柳橋の芸者が2名、日本橋の芸者が2名、大坂町の芸者が1名、吉原の花魁と芸者が各一名、品川の遊女1名、根津の遊女1名、というように選ばれて、名物風俗を彩っています。

 この時期、作者の芳年は数多くの美人画シリーズを手掛けていて、このシリーズでは、背景の写実的な風俗描写で名物の様子を紹介し、実在する芸者や遊女たちを歌川派美人の顔貌表現をベースに描いています。

(浮世絵展「美人画名品選―春信・歌麿から芳年・周延まで―」の展示コーナー解説参照)

 

下記の作品は、当時有名な12人の芸者や遊女たちと、東京12ヶ月の名物風俗を組み合わせた美人画のシリーズです。

 この美人画シリーズの作者、月岡(大蘇)芳年は、幕末から明治初期の浮世絵師です。嘉永3年(1805)の12歳の頃に武者絵の名手として知られていた歌川国芳に入門します。芳年が国芳の門をたたいたのは、武者絵を好んだからとも考えられます。

はじめは師・国芳の作風を踏襲した武者絵などを描いていましたが、明治維新の前後から戊辰戦争などに取材した残虐な「血みどろ絵」で注目を集めます。明治3年頃より神経衰弱に陥り、作画量減りますが、明治6年に回復すると、新たに「大蘇」(大きく蘇るという意味でしょう)と号します。現在では「月岡芳年」の名前が主流ですが、畑江の調査では、芳年の作品は「大蘇」と号した作品が最も多いです。

今回、一般的に主流な「月岡芳年」としましたが、「大蘇芳年」や「歌川芳年」でも間違えではありません。

 

 芳年は、西洋風の明暗表現を意識した歴史画はじめ、銅版画の陰影や、油絵の明暗描写を錦絵に積極的に取り入れ、新しい技法に挑んでいます。幅広い画題の浮世絵を手掛けていく中で、明治10年頃から美人画制作にも取り組み、新たな細かな描線を用いて、この《東京十二ヶ月》のように明治の美人画を代表する作品を数多く残したのです。

(浮世絵展「美人画名品選―春信・歌麿から芳年・周延まで―」の図録参照)

 

2017年

9月

07日

【展覧会情報】「鈴木春信」千葉市美術館

9月5日(火)「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」のレセプションにご招待いただき、心躍らせ千葉市美術館へ。

春信の作品は、約8割が海外の美術館に所蔵されているため、日本国内で作品を観る機会は限られていますが、今回千葉市で希少な春信の錦絵や絵本を一堂に観ることができます。ボストン美術館所蔵の春信作品を間近で観ることが出来、至福の一時を過ごすことができました。

 

この展覧会に取り上げられている鈴木春信は、浮世絵版画が誕生してから約100年後の明和2年(1765)に、高度な多色摺による錦絵の確立を成し遂げた浮世絵師です。和漢の古典文学を当世風俗に描く「見立絵」や、江戸の庶民に広く知られ人気を得ていた「評判娘」を描き、一世を風靡しました。

春信は修士論文で取り上げた思い入れの強い絵師なので、この期間にあと3回は観に行きたい・・

2017年

7月

10日

展覧会情報

浮世絵展「美人画名品選―春信・歌麿から芳年・周延まで―」

某区立郷土博物館で、7月22日~8月20日(前期)、8月22日~9月18日(後期)「浮世絵展 美人画名品展―春信・歌麿から芳年・周延まで―」が開催されます。同館は、松方コレクション413点を格とする、約1300点もの浮世絵を所蔵しています。前期と後期、内容がガラリと変わるそうなので、2回楽しむことができるそうです♪

 

 

『芸術新潮』の歌麿特集の中でも取り上げられていましたね!

2017年

6月

14日

〜『芸術新潮』展覧会情報〜

今月号の『芸術新潮』歌麿特集の展覧会情報です。

2017年

4月

09日

学会誌『LOTUS』第67号(日本フェノロサ学会刊)に研究論文が掲載されました

春風の心地よい季節になりましたが、皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
私ごとではございますが、昨年秋に日本フェノロサ学会にて研究発表をした論文が学会誌に掲載されました。


約8,000点ものビゲロー浮世絵コレクションの歌川国貞(三代豊国)の数量分析は、とても長い道のりでしたが、掲載された論文を見ると喜びはひとしおです。
初めて掲載される論文のため、至らない点も多いかと存じますが、ご笑覧頂ければ幸いです。

~研究論文内容~
本稿では、ボストン美術館蔵ビゲロー浮世絵コレクションの浮世絵を取り上げ、蒐集者ウィリアム・スタージス・ビゲローが最も多く、歌川国貞(三代豊国)の浮世絵を蒐集した経緯を検証しました。
国貞は生涯に万を越える膨大な作品を制作したため、その内訳や詳細については深くは検証されていません。特に、ビゲローが国貞作品を蒐集した経緯の検証は行われておらず、未だ大きな余地があります。
そこで、ボストン美術館のデータベースで公開されている国貞の約8,000件の浮世絵版画、肉筆、絵本、版本等を全て確認し、各作品に付された作品番号、作品タイトル、年代、版元、署名・改印、作品の伝来、コレクター、等を元に一点一点調査した上で、ビゲローが蒐集した浮世絵版画のみをそこから抽出し、その傾向を数量的に分析しました
分析の結果浮かび上がった、ビゲローコレクションにおける国貞の浮世絵の特徴を報告し、そこから見えてきたビゲローの真の蒐集動機を執筆しました。

※第二章で取り上げました、歌川派絵師の名前が並んだ評判記『當代全盛江戸高名細見』(嘉永6年刊)の原本の所蔵先は、都立中央図書館です。
この評判記には、「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)、清満かんばん(看板)」と人気絵師26名が続く内のトップに豊国を襲名した国貞の名が記されており、当時の浮世絵界が国貞を柱としていたことが判る大変貴重な資料です。原本の画像は、論文規定の関係で掲載できず少々残念でしたが、またの機会にご紹介します。

2017年

2月

27日

美人画研究会

2017年1月25日(土)美人画研究会を開催しました。

 

今回は私の母校の教授と親しい、帝京大学教授であり某美術館の館長の岡部昌幸先生が会場の手配やご自身のコレクションを倉庫から会場まで運送して下さるなどご助力頂きました。

内容は、1)浮世絵美人画に焦点を当てた、江戸美人のファッション(畑江麻里)、2)大衆雑誌の表紙における美人画の変化(岩崎達也・帝京大学博士課程)、3)美人画論・英国編Ⅰより、デイヴィット・パイパー「英国の顔」とノーブルな美人画(岡部昌幸教授)、という三本立の研究発表を行いました。

 

とある学会誌に掲載されました。

<研究内容>

 

1.浮世絵美人画Ⅰ

 ~江戸美人のファッション~ 畑江麻里

 

2.新制作派協会における美人画

 ―猪熊弦一郎と小磯良平の女性像を中心に― 岩崎達也

 

3.美人画論 イギリス編Ⅰ

 ―デイヴィッド・パイパー『英国の顔』とノーブルな美人画 岡部昌幸教授

 

絵画鑑賞会 

   歴史的画家の未公開・真筆の美人画を鑑賞! 岡部昌幸教授

         

 

 

 

岡部先生の愛弟子であり若手研究者、帝京大学大学院博士後期課程の岩崎さんの研究発表。

新制作派協会における美人画

 ―猪熊弦一郎と小磯良平の女性像を中心に― 

岩崎さんのご発表では、新制作派協会の画家たちの中から、猪熊弦一郎と小磯良平の東京美術学校在学中から戦後まもなくまでの女性像を描いた作品を紹介しながら、自由を謳歌する日本のキャリアウーマンたちを描いた作品を紹介して下さいました。

『婦人画報』や『週刊朝日』に表紙絵に描かれた、理想の美女像についてのお話も興味深かったです。


〜この時代の背景〜

昭和10(1935)年に二科会などの在野の団体を政府の管理下に置くために改組帝展を行ったところ、それまで帝展にいた画家たちが抜けてしまい、昭和11(1936)年に無鑑査制の復活などの緩和策によって、帝展系の画家たちが戻っていきました。これを「帝展改組問題」と言います。この時に帝展を抜け出し、そのまま在野にの団体を作ったのが、猪熊弦一郎、小磯良平などが率いる新制作派協会(現・新制作協会)でした。彼らは「新生活派」と呼ばれ、昭和戦前期・戦後期の一般大衆の生活やレジャーを描いたことで評判を得ました。中でも女性像においては、自由なファッションやお稽古、労働を謳歌する女性像を戦前より描いていました。


 

 

岡部昌幸教授によるご講演。

美人画論 イギリス編Ⅰ

―デイヴィッド・パイパー『英国の顔』とノーブルな美人画 

 

顔にこだわる英国人気質と、ノーブルさが感じられるサージェントの絵画などを取り上げ、最後に、岡部先生が撮影されたデイヴィッド・パイパーの美人画の作品解説をして下さいました。

 

 

 

絵画鑑賞会 

   歴史的画家の未公開・真筆の美人画を鑑賞! 岡部昌幸教授

 

懇親会は同じ拓殖大学の展望ラウンジに場所を移し、岡部先生の所有される額装された、小早川清の美人画≪落花≫を鑑賞させて頂きました。

この日の為に、岡部先生がトラックを手配して、学生たちと一緒に会場まで運んで下さいました。

2016年

8月

17日

日本フェノロサ学会研究発表のご案内

【日本フェノロサ学会のご案内】
毎日厳しい暑さが続いておりますが、如何お過ごしでしょうか。
私事で恐縮ですが、日本フェノロサ学会での研究発表のご案内をさせて頂きます。
前回の美人画研究会で触れました、ボストン美術館が所蔵するビゲローコレクションにおける歌川国貞(三代豊国)の浮世絵の特徴と、蒐集者・ウィリアム・スタージス・ビゲローが最も多く国貞の浮世絵を蒐集した経緯を検証します。
約3万3,300枚もの世界的に大規模な点数を誇るビゲローコレクションは、長年、門外不出とされ、詳細については明らかにされてきませんでした。
近年、各地の美術館でビゲローコレクションの浮世絵が取り上げられ、特に「国芳・国貞」展でビゲローの国貞作品が大々的に展示されました。
しかし、ビゲローコレクションの国貞作品の詳細な分析は深くは行われていません。特に、ビゲローが国貞作品を蒐集した経緯の研究は行われておらず、未だ大きな余地があると言えます。
そこで、ボストン美術館のウェブサイトで公開されている国貞の約8,000件の浮世絵版画、肉筆、絵本、版本等を全て確認し、各作品に付された作品番号、作品タイトル、年代、版元、署名・改印、作品の伝来、コレクター、等を元に一点一点調査した上で、ビゲローが蒐集した浮世絵版画のみをそこから抽出し、その傾向を数量的に分析しました
(約1万点もある国貞作品を一点一点調べ、ミスのないようエクセル表を制作し、数量的な分析をするのには目眩を起こす程でした…)
 
分析の結果浮かび上がった、ビゲローコレクションにおける国貞の浮世絵の特徴を報告し、そこから見えてきたビゲローの真の蒐集動機を明らかにしたいと思います。
お忙しいかと存じますが、参加費と懇親会費は無料ですのでもしご都合よろしければ、ご高覧頂ければ幸いです。

〜日本フェノロサ学会研究発表詳細〜

2016年

7月

07日

第7回 美人画研究会

第7回美人画研究会を開催いたしました。
今回も多くの方にご参加を頂き、研究発表、美人画カルタ、美人を描こうコーナー等、楽しい研究会になりました。
詳しい内容は美人画研究会ホームページに掲載したいと思っております。
ご参加いただきました皆様、ありがとうございました!!

2016年

5月

10日

サントリー美術館「広重ビビット展」レセプション

母校の稲垣先生にお誘い頂き、サントリー美術館「原安三郎コレクション 広重ビビット」オープニングレセプションへ行って来ました。

戦前から財界の重鎮として活躍した原安三郎氏は浮世絵コレクターでもあり、特に旅好きだったことから、葛飾北斎や歌川広重の名所絵を多く集めました。原氏のコレクションは、揃物の多くが全揃いなのも驚きですが、本展初公開となる≪六十余州名所図会≫≪名所江戸百景≫は全て摺ったばかりの状態のような大変美しい初摺り!色が本当に鮮やかなんです!≪名所江戸百景≫の中には、キラキラ光る雲母を使用した作品もありました!!この雲母や、海面や空のじわじわっとした美しいグラデーションが生み出すぼかしの技法、目にも鮮やかな色合いは、同じ版で何度も摺られた後摺りでは見ることはできず、初摺りだからこそ見られるものです。全て状態の優れる初摺りの作品だけを集めた展覧会。名所絵の名手として絶大な人気を誇る広重の豊かで粋な名所絵をお楽しみ頂けること間違いないです。また、現存数の少ない葛飾北斎の≪千の海≫が全て揃っており、こちらも注目です!

葛飾北斎が≪冨嶽三十六景≫を発表し、歌川広重が≪東海道五拾三次≫を刊行するまでに、江戸期の文学・芸術界は〝旅″に対する興味が次第に高まってきていました。北斎と広重は名所絵(風景画)のジャンルを確立し、多くのシリーズを刊行します。

広重は、画面頂部に加えられる空の「一文字ぼかし」をはじめ、名所絵の効果を発揮した「拭きぼかし」の技法を多用しています。「拭きぼかし」の技法を使用したのは、摺師の腕に任せて版画としての面白みを存分に引き出そうとしたからではないかと考えられます。浮世絵が絵師個人で制作するものではなく、彫師や摺師の腕が加わってはじめて最大限の魅力を発揮できることを、広重は承知していたのです。また、「あてなしぼかし」という摺師に全て任せるぼかし摺りの技法も、広重は好んで使っています。これは偶然に頼る技術で、一図ごとにぼかしの模様が異なって仕上がります。その技法は、何も彫っていない平らな板に水を垂らし、更に墨や色を一滴垂らし、広げた所を摺り取るだけの、人任せ、運任せのものでした。

広重は、直接摺りの現場に立ち会い、色や摺りを指定して拘りぬいて制作しました。初摺りを見ると、後摺りの作品では全く気付かなかった広重の工夫や意図を見つけることができます。例えば、≪美濃 養老の滝≫は、後摺りの作品を見ると、ただ布を垂らしただけの平坦な滝で、広重は観察眼がなかったのかのようにと思います。しかし、初摺りを見ると、広重が木目を活かして滝の水の流れを表現しようしていた意図が感じられます。

稲垣先生によると、広重の名所絵の魅力は「じわじわっ」としたぼかしの技法にあるそうです。この「じわじわっ」は、木版画の魅力であり、他の版木ではマネできません。現代の技術で印刷をするとスッキリとした線を作ってしま、手作りの肌合いが全く出ません。

 

私は現在、浮世絵の美人画を中心に研究していますが、大学院入試時に、歌川広重の名所絵を研究していました。この時に研究していた≪東海道五拾三次 日本橋 朝之景≫、こちらは初摺りなのですが、前期のみ展示されています。

この作品は、日本橋からの大名行列が京へ向けて出発する場面を描いたものです。日本橋を取り上げる際、通常は横向きであり、富士山や江戸城も定型として描かれますが、この作品には富士山も江戸城もなく正面向きで表されているのが斬新です。地平線近くの朝焼けに染まる茜色の空や、その上に棚引く青い雲、まだ明け切らない空を示した画面上部の藍色のぼかしなど、多彩な色の摺り重ねや組み合わせによって、早朝の風情を描き出す手腕は広重ならではのものです。しかし、これが後摺りになると、この雲がカットされ、美しい空のグラデーションもなくなります。また、この日本橋の作品には変わり図もあります。こちらの変わり図は構図ががらりと変わり、登場人物も多くなっています。

 

本展初公開となる≪六十余州名所図会≫は、嘉永6年(1856)7月から安政3年(1856)5月までの約4年間にわたり制作された人気のシリーズです。全国68ヵ国(五畿七道で言えば、五畿内5、東海道16、東山道8、北陸道7、山陰道8、南海道6、西海道11)の名所と江戸1点、目録1点の全70点の揃いです。

《三保の松原》

富士山と三保の松原は切っても切れない関係です。富士山を世界遺産にする際、三保の松原も含めるかどうか一悶着あったそうですが、三保の松原も含めて世界遺産になりました。現在観光地化して海岸が汚くなってしまったという意見もありますが、世界遺産に認定されたので、これから当時の美しい状態に戻ることを期待しています。

この広重の作品には、白い帆船が行き交う青く広大な海岸の中央、長くせり出した陸地が三保の松原です。白い砂浜と青々とした松の取り合わせの美しさから、古来より名所とされてきました。謡曲『羽衣』では、「ここから見た春景色はどれも美しく、他とは比べものにならない。」とその美しさを称えています。この作品に捉えられた富士山は、山頂のなごり雪が白抜きで表され、「板目摺り」という版木の木目を摺り出す技法により、立体感が引き出されています。

三保の松原の近くには、大型輸送船が行き来していた清水港があり、江戸と西国を結び年貢米などを送る地として栄えていました。

《江戸  浅草市》初摺、後摺

こちらの作品、浅草寺を描いた作品が2点、初摺りと後摺りを比較できるよう並べられていました。観音菩薩を祀る浅草寺は、江戸の庶民に大変親しまれ、新年用の品を商う12月の縁日は賑わいを見せています。

この二つ、何が違うでしょうか。全体的に引き締まって見える箇所と色が浮いてしまっている箇所が見えます。初摺りの作品は、広重が摺りの現場に立会い、一点ずつ色や摺りを確認しながら仕上げただけあり、星が瞬く夜空に、画面最上部の紫と藍色の二色の雲が美しく、細部まで手の込んだ豊な表現が実現されています。

それに対して後摺りは、初版と同じ版を使っていますが、様々な違いが見られます。夜空に輝く星は消え、空の色も減り、初摺りのぼかしも消え、最上部の雲は紫一色になり、平たく単調な印象になっています。版を重ねた版木が欠けたり磨り減ったりするため、後摺りでは輪郭線に荒さが目立ちます。しかし、後摺りの作品が多く存在することは、この作品が人気であった証拠と言えます。

 

幻のシリーズ 葛飾北斎≪千絵の海 総州銚子≫

先日、八王子市夢美術館「ますむらひろしの北斎展」を観た際、この≪千絵の海 総州銚子≫ 元に制作された作品が特に印象的で、実物が観たいと思っていました。

葛飾北斎による「千絵の海」は、各地の漁を主題に、変幻する水辺の景色や漁の様子を捉えた10点からなるシリーズです。千絵の海は現存作品が少なく、10点全てを所蔵しているところはほとんどありません。

こちらの作品は、鰯漁で栄えた総州銚子の海が描かれています。ベロ藍の色が美しく、荒々しい大海原の中で打ち寄せる波が岩に砕け、飛沫を残しながらひいていく様子が巧みに捉えられています。北斎はかつてこの地に滞在していたそうです。寄せる波とひく波。二つの波を一つの画面に収めた独創的な構図です。波の様子とは対照的に、画面手舞の舟の穂先には猟師が平然と網を引いています。

2016年

4月

21日

東京都美術館「生誕300年記念 若冲展」レセプション

著名な美術史家の安村先生にご招待頂き、初めて一人で東京都美術館「生誕300年記念 若冲展」レセプションに行って来ました。

伊藤若冲は、江戸中期に京都で活躍した画家で、緻密で鮮やかな色彩描写による動植物、軽妙洒脱な水墨画を手掛けたことで有名です。その若冲の生誕300年を記念した空前絶後の展覧会が明日、4月22日(金)から開催されます。

この展覧会の大目玉は、若冲が京都・相国寺(室町幕府三代将軍の足利義満によって創建)に寄進した大作「釈迦三損尊像」3幅と「動植綵絵」30幅です。若冲が40歳の時に取り掛かり、10年の歳月をかけた渾身の作で、一堂に公開されることは初めてです。

展覧会場の2階に上がると、正面に一際大きな「釈迦三損尊像」3幅が見えます。若冲は、京都の東福寺にあった中国の仏画をここに写したそうです。その左右を取り囲むように並ぶのが「動植綵絵」30幅。咲き誇る花々に蝶や虫、あらゆる鳥に魚、貝類までが絢爛豪華に描かれています。この作品は、絵絹に裏打ちされた肌裏紙が濃い灰色になっているのが特徴です。通常は紙本来の色、もしくは白。しかし墨色の紙を使用すると、それが絵絹の折り目から透けて画面が暗くなり、空間に深みがでます。そして色に更なる奥行をもたせるために若冲が取り入れたのが裏彩色。絵絹の裏に色を塗ることで表の色にニュアンスを与えます。調査によると、多くの白い鳥の羽は裏に黄土色が塗られていたそうです。墨色の肌裏紙、裏彩色の黄土色、絹の光沢、そこに白い胡粉が重なることで、趣のある輝きと立体感が生まれます。

「動植綵絵」は、若冲の緻密な超絶技巧に泣きそうになります。必見です!!

展覧会図録も若冲の魅力が満載です!

2016年

4月

05日

太田記念美術館「歌川国貞展」

母校の先生と太田記念美術館「歌川国貞~和の暮らし、和の着こなし」へ。

現在、渋谷Bunkamuraの「国芳・国貞展~ボストン美術館所蔵」も大反響で、遂にやってきた国貞ブーム!?に嬉しく思っております。

浮世絵の状態、質・量ともにボストン美術館所蔵の方が素晴らしいと感じましたが、(こちらは退色してしまっている作品も多くありました)この展覧会に飾られていた、≪星の霜当世風俗 蚊やき≫は状態がとても良く、目を見張るばかりでした。

≪星の(や)霜当世風俗≫は、国貞の美人画を代表するシリーズの一つで、八花形の縁の古鏡風の枠内に題名が書かれています。題名は、「星の霜」と「星や霜」の二種類があり、各5図の計10図が知られています。

この≪星の霜当世風俗 蚊やき≫は、文政2年(1819)に制作されました。なぜこの年に制作されたかというと、この美人画に配された役者団扇を見ればわかります!

≪星の霜当世風俗(蚊やき)≫

この作品には、蚊帳の中に入ってしまった蚊をこよりに点けた火で焼き殺そうとする、当時の庶民の女性風俗が捉えられています。画面下部に注目すると、三代目尾上菊五郎の助六が描かれた団扇が見えます。菊五郎の助六の初演は文政2年(1819)3月中村座で上演されました。(浄瑠璃は「助六曲輪菊」すけろくくるわのももよぐさ)そのため、役者の団扇を見るとこの作品がいつ制作されたのかがわかるのです。

助六は、市川家の芸ですが、菊五郎が団十郎への挨拶なしに勝手に演じてしまったため、両者不和の原因になりました。

※こちらのお話は、第二回目「美人画研究会」にて、新藤先生にご教授頂きました。

http://bijingakenkyukai.jimdo.com/研究会/第2回/

美男子の三代目菊五郎は、楽屋の鏡に自分の顔を映しながら「どうして俺はこんなにいい男なんだろう」と呟いたというエピソードもあります。

役者が描かれた団扇は、一本十六文で、他の団扇絵が十二文~十四文だったそうで、他の団扇よりも若干お高めでした。

2016年

4月

02日

第6回「美人画研究会」1周年になりました

4月2日(土)に第6回美人画研究会を開催いたしました。

お陰様で昨年3月に第1回目を開催してから1周年となりました。

ご参加くださった皆様、応援して下さった皆様、皆様のお陰で1周年を迎えられましたことを、心よりお礼申し上げます。

 

下記、第6回美人画研究会の内容をご報告させて頂きます。


     

初の試み「美人を描こう パート1」

6名の方が描いて来て下さった吉永小百合さんの作品を並べて鑑賞し、小百合さんを描く時のポイント、描く時に苦労した点などをお聞きしました。

顔が整っている女性の顔は描くのが難しいというご意見が多かったですが、どれも美しい「美人画」でした。

 

私の今回の発表は、川越のそば屋さんで見つけた歌川国貞の浮世絵美人について発表しました。

ただ一方的に話すのではなく、参加者の皆さんに下記質問をしました。

 

Q1.この絵は何屋さんでしょうか?

Q2.看板の上には何が乗っているでしょうか?

Q3.何のために●●が看板の上に乗っているでしょうか?

Q4.いつ頃から●●が■■屋で使われるようになったでしょうか?

Q5.雪景色の場所はどこでしょうか?

Q6.どのような女性に見えますか?

Q7.女性が持っているものは何でしょうか?

 

次回は、7月3日(日)を予定しております。

皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

2016年

3月

18日

「俺たちの国芳 わたしの国貞」レセプション展

Bunkamuraザ・ミュージアム「俺たちの国芳、わたしの国貞展」のレセプションに行って来ました。

オープニングには、この展覧会の音声ガイドのナレーターを務めた、中村七之助さんが登場し思わず興奮してしまいました。

幕末期に一世を風靡した国芳と国貞。浮世絵三ジャンルのトップに歌川派の絵師の名前が並んだ、評判記『江戸寿那古細撰記えどすなごさいせんき』(嘉永6年刊)には「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」と記されており、国貞と国芳の活躍を端的に伝えています。この「豊国」は初代ではなく、三代豊国を襲名した国貞のことです。

現在、歌川派といえば、国芳や広重がまず頭に浮かぶ方が多いと思いますが、当時は国貞を柱として、歌川派の絵師たちは文化文政に続く旺盛な制作活動を繰り広げたのです。国貞はこの二人の絵師よりも生涯に制作した浮世絵は3万点以上と圧倒的に多く、人気も別格でした。

 

歌川国貞

国貞は、10代で歌川豊国(後期浮世絵界における歌川派全盛の基礎を作った絵師。歌川派を創始した豊春門下)に入門し、早くからその才能を見込まれた国貞。文化11.12年(1814.15)、29歳の時に発表した、役者大首絵の傑作≪大当狂言ノ内≫シリーズ(7枚揃)の成功を弾みとして、天保15年(1844)「豊国」を名乗りました。(国貞の前に二代目を名乗った豊重がいるため、現代では一般的に三代豊国と呼ばれます。)人気と実力を兼ねそろえた国貞は、役者絵と美人絵の二大ジャンルを精力的に筆を取り、当時随一の大御所絵師として認識されていたのです。

 

歌川国芳

国芳は、豊国に入門した後、すぐに活躍することができず、兄弟子の国直の家に寄宿しながら模索の日々を送りましたが、文政10年(1827)中国で生まれた武勇伝『水滸伝』に取材した≪通俗水滸伝豪傑百八人之一個≫が人気を博したことにより、武者絵の国芳としての地歩を確立しました。天保末以降、三枚続きの大画面を駆使したダイナミックな構図や、洋風表現を用いた奇抜な表現の浮世絵が注目を集め、天保の改革の取り締まりが緩み始める弘化4年(1847)頃から、役者を動物や器物に擬人化するユニークな表現を確立し、国芳の才能が開花しました。

 

七之助さんの音声ガイドを聞きながら、ボストン美術館の素晴らしい作品を心行くまで堪能してきました。

この日限定で、国貞作品の撮影許可の場所があったので、ご紹介したいと思います。

歌川国貞≪本朝風景美人競≫天保初期頃

「相模江ノ島」「大和吉野」「駿河三保」「陸奥松島」

美人と日本各地の名所を小間絵に描きこんだ揃い物のうち四図。藍摺りの名所の周りには吊灯篭(針金に板ガラスや色ガラスのビーズが装飾されたもの)が華やかで目を引きました。四人の女性全て裸足で描かれていますが、「大和吉野」(中央上)黒頭巾を被った藍一色の着物の女性は寒さに震えているようにも見えます。この女性について、源義経と静御前の切ない別離の場を描いたものではないかとの指摘もあるそうです。

歌川国貞《見立邯鄲》 

透けた団扇からのぞく長い洗いざらしの髪の美人の作品。こちらの女性は、当時人気の女形、五代目瀬川菊之丞の大首絵の可能性もあるそうです。 

「邯鄲」を元にした作品で、藍色の背景にはその物語の情景が描かれています。 

「邯鄲」と聞くと、春信の邯鄲が頭に浮かびますが、国貞の邯鄲は女性がクローズアップで捉えられ、春信のものとはまた違った魅力があります。盧生青年の儚い夢と、小さな蝶を見つめる女性の心情が重ねられ、エモーショナルな美人絵になっています。(「邯鄲」とは、中国の戦国時代、盧生という貧しい若者が邯鄲の宿で仙人に出会い、不思議な枕を借りてひと眠りし、紆余曲折を経て立身出世をする体験をします。すると、店の主人が粟の飯が炊けたことを知らせます。盧生が体験したことは短い間の夢で、彼は出世や栄華も夢のようなものだと悟り故郷に帰っていく、という話です。)

歌川国貞

「松葉屋内 粧ひ わかな とめき」「中万字や内 八ツ橋 わかば やよひ」「扇屋内 花扇 よしの たつた」「姿海老屋内 七人 つるじ かめじ」

「弥玉内 顔町 まつの こなつ」

吉原を代表する五人の名だたる遊女を「ベロ藍」(オランダを通して輸入された化学染料の青で、ベルリン藍の略称。かつてプロシア王国の首都であったベルリンでできた染料で、プルシアンブルーのこと。)の藍色だけで表現された作品です。画面上部に遊女と禿の名前、そして夜桜が表され、禿を引き連れた遊女の道中の姿が見えます。一見、藍一色だけと思いきや、遊女と禿の口元に注目すると唇か紅色になっていました。主に藍色だけですが、衣装や簪など華やかな作品です。

 


歌川国貞 
「江戸町壱丁目 扇谷内 花扇」「角町 大黒屋内 大淀」「角町 大黒屋内 三輪山」
こちらも吉原の名立たる遊女の花魁道中の作品です。先程の作品はベロ藍の藍が中心、画面上部には夜桜が表されていましたが、こちらはフルカラーになり、画面上部には月夜に雁の群れが飛ぶ様子が描かれています。吉原一丁目にある大見世扇屋と、吉原の見番(総合窓口)を務める角町の大黒屋庄六の遊女。「花扇」と聞くと、喜多川歌麿の四代目の花扇が浮かびますが、花扇は扇屋の別格の高級遊女でした。着物の柄もとても凝っていて、画面左の三輪山の衣装は大輪の菊、画面中央の大淀は桜と音曲を奏でる人物、そして花扇は鞠や羽子板が描き込まれていました。 

歌川国貞≪全盛遊 三津の あひけん≫ 
「京嶋原」「江戸新吉原」「大坂新町」 
江戸時代の三大都市、京・江戸・大坂それぞれの遊郭である、島原、吉原、新町の遊女が狐拳(じゃんけんの一種)をしている様子が見えます。画面上部のコマ絵には、狐、猟師、庄屋が描かれているので、「あいけん(あいこ)」となっていることがわかります。コマ絵の隣には、当時活躍した俳諧師の句が添えられていました。 
京は野々口立圃、江戸は宝井其角、大阪は西山宗因 

歌川国貞≪新吉原仮宅之図≫ 
文化13年(1816)火災で吉原が焼失し、浅草周辺の土地で営業が許された臨時の遊郭の様子が描かれています。格式高い吉原とは異なる風情が見られる仮宅。遊女たちの着物の着こなしもゆったりしています。 
画面中央の女性を遠くから見たとき、菊川英山風の顔つきに見えました。

2016年

1月

09日

千葉市美術館「初期浮世絵展」レセプション

母校の稲垣先生にご招待頂き、千葉市美術館「初期浮世絵展ー版の力・筆の力ー」レセプションパーティーに張り切って着物で行って来ました。

初期の浮世絵に焦点を当てた展覧会はあまり開催されないため、年末から心待ちにしていました。この展覧会は、歌麿、写楽、北斎、広重など、いわゆる浮世絵黄金時代のものではなく、初期浮世絵に焦点を当てています。
近世初期風俗画から、浮世絵の始祖と位置づけられる菱川師宣、歌舞伎絵界に圧倒的な地位を築いた鳥居清信や鳥居清倍、浮絵や柱絵を草案した奥村政信、紅摺絵の美人絵の名手である石川豊信、そしてフルカラーの高度な多色摺木版画技法の錦絵を誕生させた鈴木春信の登場まで堪能できます。
稲垣先生からご教授頂いた内容や私の感想なども交えながら、一部の作品をご紹介したいと思います。

レセプションパーティーの後、展示室へ


<近世初期風俗画>

展覧会場に入ると、まず出迎えてくれたのが、近世初期風俗画。(中世末から桃山時代を経て江戸初期にわたって生まれた新興の絵画を「近世初期風俗画」と呼びます。)浮世絵が一般の人々に普及する以前、室町時代の終わりから江戸初期にわたる準備期間が、京を中心にありました。この近世初期風俗画は、やがて誕生する江戸庶民の浮世絵の母体となったのです。

寛永期(1624-44)になると、年中行事や日常生活の様子を京の街並みや名所を屏風に描いた「洛中洛外図」の一部分を拡大してアップで詳しく見たいという欲求が高まり、屏風にあでやかな着物を着た女性が描かれ、それが小さな掛幅となりました。

「寛文美人」と呼ばれた肉筆画は、高価で一部の金持ちのためのものでした。

繊細な描線で描かれた踊り子の掛幅は、床の間に飾れば部屋がパッと明るくなったでしょう。画面上部の余白は金色に埋め尽くされ、唐輪髷に髪を結ったこの遊女が引き立って見えます。白い小花を散らし地に絞り模様などを染め分けた手の込んだ着物に、金の牡丹唐草があしらわれた帯を締め、なんとも豪華でした。

<菱川師宣>

浮世絵の創始者と位置づけられる菱川師宣は、大和絵師と自称し、版画や版本の他にも屏風や絵巻、掛幅と様々な形式で肉筆画を描きました。

師宣と言えば、まず「見返り美人」が頭に浮かびます。彼は元禄期(1688~1704)に多くの一人立ち美人を肉筆画に捉えていますが、その中に若衆の作品があることはとても珍しいです。振袖の羽織を着ていた姿を見て、最初女性なのではないかと思いましたが、実は男性なんです。エメラルドグリーンの色の着物が美しく、まだ前髪を剃らない若い男性は色子のようにも見えます。

菱川師宣『武家百人一首』

寛文12年(1672)、初めて絵師の名前が記された絵入本『武家百人一首』が世に出たのですが、その時の作品も展示されていました。絵師の名が記されたことは、浮世絵師の力が初めて認められたと言っても過言ではないでしょう。

『武家百人一首』は、100人の武家の歌人と歌、上部に注釈と歌の光景を表した絵本です。大衆の人気を得た師宣は、好色本を主に次々と絵入本を刊行しました。師宣の好色本なども展示されていました。やがて、絵本の挿絵が鑑賞用として一枚絵に独立し、浮世絵が普及します。墨一色の大量印刷のため値段が安く、誰でも買えるため、浮世絵が庶民の美術になったのです。

杉村治兵衛≪遊歩美人図≫

元禄期の着物は大模様で派手なものでした。美人の左袖には、高貴な女性を背負う男性が描かれているので『伊勢物語』の「芥川」を意匠化してることが分かります。男性が盗んだこの女性は、この後、鬼に食べられてしまうという悲しい結末が待っています。。右袖には盗まれた女性を武蔵野に探す松明を持つ武士という「武蔵野」と、いずれも『伊勢物語』の著名な場所が模様となっています。

鳥居清倍≪初代市川団十郎の竹抜き五郎≫

みみずのように描かれた線、筋肉が瓢箪のように膨らんだ脚、鳥居派のいわゆる〝瓢箪足蚯蚓描き”(当時そのような言葉で言われていたのかは疑問ですが)の筆法で表された曾我五郎。丹絵(初期浮世絵の様式の一つ。墨摺絵に朱の色として鉛に硫黄と硝石を加えて焼いた「丹」を手彩色したもの)の赤色が鮮やかで、力強さを感じました。荒事を象徴する竹抜きの趣向は、元禄10年(1697)5月中村座「兵根元曾我」で初代市川団十郎扮する曾我五郎で初演、当時人気だったそうです。

懐月堂安度≪遊女立美人図≫

宝永~正徳期(1704~16)に肉筆画を専業とする一派が登場しました。懐月堂安度とその一門です。高級な絵の具ではなく粗末な泥絵具で彩色し、工房を営んで量産しました。肉筆画はどれも高級感を感じるため、粗末な絵具を使用していると知った時は驚きました。着物を縁取る黒い太い線、大柄な模様が特徴の一人立ち美人はとてもダイナミックな印象でした。

安度は、正徳4年(1714)、江島生島事件に関与した罪で流されてしまいましたが、残された懐月堂の作品は多かったそうで、当時人気の美人だったことが偲ばれます。

<奥村政信>

版元も兼ね、浮世絵界に様々なアイディアを仕掛けた奥村政信。作画期は、元禄末から宝暦末までの約60年とずば抜けて長いです。

生涯の作品は墨摺から丹絵・紅絵・漆絵・紅摺絵へと浮世絵の発展をたどるものです。これまで墨摺りの上の塗る色は、オレンジががった「丹」が中心でしたが、赤みの強い上品な紅を使用し「紅絵」と称したのは政信でした。現在は退色している場合も多いですが、「紅」は浮世絵にはなくてはならない色となり、幕末まで江戸の人々に好まれました。

政信は、元文(1736-41)頃には「柱絵」、続いて「浮絵」(西洋の透視画法を用いて遠近感を強調し近景が浮き出して見える浮世絵。中国の蘇州版画の影響とも言われます。浮絵の創始は奥村政信で、元文4年(1739)のものが最も古い作品だそうです)を創案して人気を集めました。人気の新商品は、すぐに真似されれるので自作には「はしらゑ根元」「浮絵根元」などと記したそうです。こちらの作品にも彼のトレードマークの瓢箪印が押されています。

奥村政信≪佐野川市松≫

当時絶大な人気を誇った佐野川市松(1722~62)は、宝暦4年(1754)に女方に転向するまで若衆方として活躍し、市松模様(碁盤目状の格子の目を色違いに並べた模様)を流行させました。彼の着物の帯と背後にある暖簾に注目すると、市松を表す丸に「同」の紋が見えます。市松模様の帯は、市松が江戸に下った寛保1年(1741)「菜花曙曾我」三段目「高野心中」で小姓粂之助を演じて評判となった衣装で、市松格子とも呼ばれたそうです。丸に「同」のマーク、格子柄の模様があかれば、佐野川市松を描いた作品とわかります。

 

<鳥居清広>

寛保から宝暦(1741-64)までの紅摺絵全盛に活躍した絵師。

鳥居清広は生没年が不詳。石川豊信に似た紅摺絵の美人を多く描いています。

この頃から浮世絵は筆による彩色ではなく、版による彩色を行われるようになりました。「紅摺絵」は、紅色と緑を中心にした2~3色の簡単な色摺りで、寛保2年(1742)からはじまり、明和2年(1765)、錦絵が誕生すると急速に減少しました。

先ほどの紅絵は紅の色が退色していましたが、こちらの紅摺絵は紅の色がきれいに残っています。

宝暦3年(1754)11月の中村座「百萬騎兵太平記」に取材した中村助五郎の大森彦七盛長と、中村富十郎の春日野のふじを描いた役者絵。紅の赤と緑(草色)のコントラストが美しいです。

丸に「仙」の字があれば助五郎の紋、八本の矢「八本矢車はっぽんやぐるま」の紋があれば、当時、極上上吉と評された最上位の女方・中村富十郎の紋であるとwくぁかります。(評判記『役者懐相性』)

助五郎が演じる大森彦七盛長は、史実では足利尊氏に属し、建武3年(1336)湊川の戦いで楠正成を敗北させた人物です。

 

~この展覧会の最後は、錦絵を誕生させた鈴木春信の作品~

<鈴木春信>

明和2年(1765)、浮世絵界に革命が起きました。師宣の登場から約100年間、墨一色の墨摺から三色くらいの紅摺絵にしか技術が進化していませんでしたが、フルカラーが可能の錦絵が登場しました。当時は、西陣織の錦のように美しい江戸の絵ということで「江戸絵」「東錦絵」と呼ばれました。

江戸時代は太陰暦を用いて毎年月の大小が異なるので、新年の挨拶に、その年の大小の月を記した絵暦(大小)を作って配る習慣がありました。明和2年、教養のある俳諧趣味人のグループの間で暦のデザインの優劣を競う交換会(大小会だいしょうえ)が流行しました。リーダーは1,500石取りの大久保甚四郎忠信舒(俳名巨川)、1,000石の阿倍正寛(俳名莎鶏)、薬種商小松屋三右衛門(俳名百亀)らで、金に糸目をつけず摺の技術を開発、ついに多色摺り版画の錦絵を誕生させたのです。

鈴木春信≪坐舗八景 台子夜雨≫

同じ構図で色違いの二枚が展示されていました。どこがちがうでしょうか。

≪坐舗八景≫の8枚揃いのシリーズは春信の代表作で、この初版には「巨川」の署名、「城西山人」「巨川之印」の印章が押されています。こちらの作品も巨川が大小会で知人に配るために春信に依頼させたのでしょう。

大坂の鯛屋貞柳が『狂歌机の塵』享保20年(1735)に「瀟湘八景」を生活の場に置き換えて詠んだ歌から発想された作品で、「台子夜雨」とは、台子に置かれた茶釜の湯の音を雨音になぞらえているそうです。温かい家庭の生活風景が垣間見れます。

こちらの作品には「巨川」の文字や印も押されていません。目ざとい版元は、春信が描いた大小(絵暦)の版木を譲り受けて、依頼者の落款を削り取り、「東錦絵」と名付け商品として一般の人々に売り出しました。娘の着物や帯の色も異なり、色が退色してわかりませんでしたが、娘の簪に使われた銀や鼈甲の模様なども省略されており、高価な絵の具は用いられなくなっています。

※絵暦 太陰暦で一年は大の月30日、小の月29日で構成され、およそ3年に一度閏月があります。この組み合わせが一定ではないため、その年の大小月を表した略暦が作られ、新年の挨拶に配った、絵入りの大小暦です。

研究発表

2015年9月12日に開催された第20回日本顔学会にて、「美人画研究会」で発表した研究内容の一部をポスター発表させて頂きました!
多くの方がお越し下さり、また「美人画」について貴重なご意見を頂き、大変勉強になりました。
皆様、誠にありがとうございました。

★クロアチア旅行★

2015年8月末より、妹とクロアチアへ行って来ました。

クロアチアは、それほど大きくない国土の中にユネスコの世界遺産が7つも登録されています。

宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』や『魔女の宅急便』はクロアチアのアドリア海が舞台だったことはご存知でしょうか。

この映画には風光明媚なアドリア海の景色が描かれています。

 

妹とクロアチアの大変素晴らしい光景を目に焼き付け、みなさまにお伝えできればと思い、ブログに載せてみました。

正面顔ばかりの写真で恐縮ですが、下記ご覧頂ければ幸いです。

 

【クロアチア 首都ザグレブ】

ザグレブの街は、19世紀以降に造られた新市街と、18世紀以前の街並みが広がる旧市街とに大別されます。

その歴史は、11世紀にハンガリー王(ラースロー1世)が現在の地区をローマ・カトリックの司教区として定めたことからはじまるそうです。13世紀には自由都市として認められ、商業の街として栄えました。

 

天に突き刺さるように伸びる二つの鐘楼(一つは工事中でした)が印象的な聖母被昇天大聖堂や、屋根のモザイクが目印の聖マルコ教会など、ザグレブのランドマークを観光し、当時の面影を肌で感じました。

石の門にて。1731年の大火災で城壁と現在の石の門周辺が焼け落ちた際、灰の中から見つかったというマリア像。普段は柵の中からしか見ることができないそうなのですが、偶然柵が開いた時に撮影することができました。


ザグレブ観光後は、ラストケ村へ。


おそろいのハート型のサングラスをしてみました♡


【プリトヴィッツェ湖群国立公園】世界自然遺産

1979年に世界自然遺産に登録されたプリトヴィッツェ湖群。

16の湖と90以上の滝が点在。石炭を含む台地が天然のダムとなり、16の湖が無数の滝で繋がっています。水がとても澄んでおり、その時々で科学変化によって湖の色が変わるそうです。

エメラルドグリーンに輝く湖を眺めながら上湖群と下湖群を散策し、とても癒されました。

その後、7時間かけてドブロブニクへ


【ドゥブロヴニク旧市街】世界文化遺産

クロアチア屈指の観光地、ドゥブロヴニクは1979年世界文化遺産に登録されました。

アドリア海に面したこの街は、かつてラグーザ共和国というひとつの国でした。ビザンツ帝国に従属していましたが、十字軍の到来に伴ってヴェネツィアの支配下に。14世紀以降はクロアチアの自治州となり、長きにわたって独立を貫いてきた希少な街でもあります。

この街には、城壁に囲まれた旧市街に各時代の貴重な建物が残っています。


スルジ山は絶好の眺望スポットでした!!

ドゥブロヴニクに到着した夜、そして次の日の朝も山頂までロープウェイで登り、旧市街の美しい姿を目に焼き付けました。


旧市街に点在する歴史的建造物を観光し、城壁ウォーキング

中央にドームを持つ壮麗なバロック様式の大聖堂。内部には祭壇があり、ティツィアーノの祭壇画『聖母被昇天』が飾られていました。

城壁の上に巡らされた1周2kmの遊歩道を歩きました。

ピレ門横の階段を上ると見えるのがこの光景。オノフリオの噴水やルジャ広場、鐘楼が見えます。

しばらく歩くと出会えるのは、ロヴリイェナツ要塞。海抜37mの岩山上に立ち、海と陸の双方から街を守る役割を果たしたそうです。

城壁ウォーキングの後、クルーザーでドブロブニクの景色を堪能

【スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿】

1979年世界文化遺産に登録

ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿は、1700年ほど前の建物と、この敷地内に住む人々の生活が一体となった不思議な街です。

この皇帝は303年にキリスト教弾圧の勅令を交付し教徒たちを迫害しました。そのためキリスト教徒から憎まれているそうです。

 

宮殿の地下を見学した後、鐘楼へ登り、スプリットの街を一望しました。


【古都トロギール】

1997年世界文化遺産に登録


聖ロヴロ大聖堂はトロギールで最も重要な建築物です。

初期キリスト教の教会があった場所に1315世紀にかけて建てられました。シンボルの鐘楼は17世紀初頭に現在の姿になったそうです。

 

入口にはロマネスクの彫刻があり、窓はゴシック様式などで構成されています。

一階の窓 アーチの先が尖ったゴシック様式(1422年修復)

二階の窓 この地方でよく見られるというヴェネツィアンゴシック様式(15世紀半ば完成)

三階の窓 後期ルネッサンスのマニエリスムの影響がみられます(1605年完成)

 

観光後、リゾート地オパティアへ


クロアチアの柄なのでしょうか。お揃いのTシャツを購入し、早速着てみました。


最終日は、国境を越えてスロヴェニアへ

ポストイナ鍾乳洞、ブレット湖、リュブリャナを観光しました。

クロアチアから帰国した次の日は、軽井沢での研究合宿に参加しました。

旅行中パワポを作成する時間が取れなかったため、帰宅した夜21時から深夜まで作り、無事に発表することができました。

軽井沢では、一度行ってみたかった千住博美術館に足を運ぶことができました。

★桟敷席で歌舞伎鑑賞★

2015年8月6日 歌舞伎初日

人生初の桟敷席で、第三部「芋掘長者」「祇園恋づくし」を鑑賞しました!!
「芋掘長者」緑御前役の中村七之助さんの舞は妖艶で目が釘付けになります。
七之助さんを見ると、江戸時代の女方随一、二代目瀬川菊之丞もこのように美しかったのかなぁなんて想像してしまいます。

★江戸時代の歌舞伎の観劇の方法は、桟敷席と平土間、さらに安い席で見る方法などがありました。(桟敷席と平戸土間には各種類があります)
入口に「鼠木戸」という狭い出入り口があり、その横には「札場」がありました。平土間で見る客はここで入場券の札を購入し、入場しました。
 
では、なぜ「鼠木戸」のような狭い入口にしていたのでしょうか?それは、狭い入口にして、タダで入る人をチェックしていたからです。現在の歌舞伎座のように、広い入口にしてしまうと、こっそり無料で入ってしまう人がいたので、このような造りにしたそうです。ただし、タダで入る客もいました。(ヤクザなど)
 
大変高価な桟敷席は茶屋などで予約しました。桟敷席では茶弁当などが拡げられ、優雅な宴席になり、平土間では饅頭売りや菓子売りなどがやってきて、買い食いをしていたそうです。


この日、なんと招待券で鑑賞することができ、とても贅沢すぎるひと時でした。
★歌舞伎知識
・時代物
江戸時代以前の公家や武家の社会を描いた作品のこと。(江戸時代に起こった出来事をそれ以前の時代に置き換えたものもあります)
歌舞伎興行の最初に上演される、一番目狂言はこの時代物で、曽我物や仇討物などが含まれます。
 
・世話物
江戸時代の町人生活を題材とした作品のこと。特に身分の低い庶民の生活をリアルに描いたものは「生世話物きぜわもの」と呼ばれます。
一番目狂言の後に上演される二番目狂言には、世話物が上演されます。

恵比寿ランチ

妹が誕生日をお祝いしてくれました☆
「お姉ちゃん、伊万里焼好きだから、このお店にしたよ」
妹が伊万里焼好きの私のために恵比寿にあるこのお店を選んでくれました。
クロアチア旅行に一緒に行けたら良いなぁと思いながら、至福のひと時を過ごしました。


お店には、染付や金襴手様式の伊万里焼が飾られていました。
お庭で記念撮影

誕生日

今年の誕生日は、多くの方がお祝いして下さり、たくさんケーキを食べました☆